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2001−2002 Ski Jumping トピックス




[FISワールドカップスキージャンプ リザルト]

[ソルトレイクシティ冬季五輪スキージャンプ リザルト]

[2002 世界スキーフライング選手権 リザルト]




■2001〜2002年FISワールドカップスキージャンプ 日程■2002年1月15日更新
 2001〜2002年のFISワールドカップスキージャンプの日程が決定しました。

[第1ピリオド](FISグランプリスキージャンプ)
  2001.08.11 ヒンターツァルテン(GER) K95
  2001.08.12 ヒンターツァルテン(GER) K95
  2001.08.14 クーシュベル(FRA) K120
  2001.08.18 シュタムス(AUT) K105
  2001.09.05 札幌(JPN) K120
  2001.09.08 白馬(JPN) K120
  2001.09.09 白馬(JPN) K120

[第2ピリオド]
  2001.11.23 クォピオ(FIN) K120(ナイタージャンプ)
  2001.11.24 クォピオ(FIN) K120(ナイタージャンプ)
  2001.12.01 ノイシュタット(GER) K120
  2001.12.02 ノイシュタット(GER) K120
  2001.12.08 フィラハ(AUT) K90
  2001.12.09 フィラハ(AUT) K90(団体)
  2001.12.15 エンゲルベルク(SUI) K120
  2001.12.16 エンゲルベルク(SUI) K120
  2001.12.21 ヴァル・ディ・フィエンメ(ITA) K120
  2001.12.22 ヴァル・ディ・フィエンメ(ITA) K120

[第3ピリオド](Springertournee〜ジャンプ週間)
  2001.12.30 オーベルシュトドルフ(GER) K115
  2002.01.01 ガルミッシュ・パルテンキルヘン(GER) K115
  2002.01.04 インスブルック(AUT) K120
  2002.01.06 ビショフスホーフェン(AUT) K120

[第4ピリオド]
  2002.01.12 ヴィリンゲン(GER) K120
  2002.01.13 ヴィリンゲン(GER) K120(団体)
  2002.01.19 ザコパネ(POL) K120
  2002.01.20 ザコパネ(POL) K120

[第5ピリオド]
  2002.01.24 白馬(JPN) K120(ナイタージャンプ)
  2002.01.26 札幌(JPN) K120(ナイタージャンプ)
  2002.01.27 札幌(JPN) K120(団体)

  [2002年冬季オリンピック](◆)
   2002.02.10 ソルトレイクシティ(USA) K90
   2002.02.13 ソルトレイクシティ(USA) K120
   2002.02.18 ソルトレイクシティ(USA) K120(団体)

  2002.03.01 ラハティ(FIN) K116(ナイタージャンプ)(▲)
  2002.03.02 ラハティ(FIN) K116(団体/ナイタージャンプ)(▲)

  [2002年スキーフライング世界選手権](◆)
   2002.03.09 ハラホフ(CZE) K185
   2002.03.10 ハラホフ(CZE) K185

[第6ピリオド]
  2002.03.13 ファルン(SWE) K115(ナイタージャンプ)(▲)
  2002.03.15 トロンハイム(NOR) K120(ナイタージャンプ)(▲)
  2002.03.17 オスロ(NOR) K115(▲)
  2002.03.23 プラニツァ(SLO) K185(団体)
  2002.03.24 プラニツァ(SLO) K185

(◆)成績はワールドカップポイントに加算されません。
(▲)ノルディックトーナメント


■オーストリアスキー連盟と全日本スキー連盟との協力交流協定締結調印■2001年7月1日
 7月1日、オーストリアスキー連盟と全日本スキー連盟との協力交流協定が締結、調印されました。 これは、両連盟がスキー及びスノーボードにおいて全面的に協力交流をすることを公式に明文化したもので、発効期間は2年間。 2年後以降も、協定解除を申し出なければ更に期間を2年延長するとのことです。 両連盟の長い歴史の中でもこのような協定が調印されるのは初めてで、両国のスキー・スノーボード競技の更なる発展に貢献するものと期待されます。


■ヤニ・ソイニネン 引退へ■2001年7月4日
 フィンランドのヤニ・ソイニネン選手が、本国のマスコミの取材に対して引退を表明した模様です。 理由は「モチベーションの低下」とのこと。 1998年の長野冬季五輪では、ノーマルヒルで金メダル、ラージヒル個人で銀メダルを獲得して、日本国内での知名度も高い選手でした。 フィンランド人としては小柄ですが、1999年のワールドカップジャンプ白馬大会では低い身長をカバーするパワーと技術力で見事優勝しています。 引退後の去就は明らかにされていません。どうもお疲れ様でした。


■第2回札幌市長杯大倉山サマージャンプ大会■2001年7月23日
 7月21日、今シーズンのサマージャンプ大会ラージヒルの国内初戦となる札幌市長杯が大倉山ジャンプ競技場(K120)で行われました。 優勝はエース葛西紀明(チームマイカル)。 1stラウンドで2位につけた葛西は2ndラウンドで132.0mを飛び、飛型点20点満点のジャッジが二人という高いポイントで逆転優勝しました。 2位は1stラウンドで最長不倒距離の133.0mを飛んだ原田雅彦(雪印乳業)、3位は船木和喜(フィットスキー)でした。 以下、4位に岡部孝信(雪印乳業)、5位に佐藤昌幸(NTT東日本北海道)、6位に仲村和博(チームマイカル)と続き、実力のある選手が順当に成績を伸ばした模様です。 今シーズンもチームジャパンの牽引車として活躍が期待されている宮平秀治(ミズノ)は体調不良で試合を棄権。 また昨年のサマージャンプの練習中に大怪我をして以来戦列から離れていた斎藤浩哉(雪印乳業)は、奮闘して14位に入りました。

 サマージャンプは8月4日及び5日に国内戦を行い、その後はサマーグランプリのヨーロッパシリーズに突入します。 スキージャンプもいよいよ夏本番です。


■サマージャンプ2連戦■2001年8月6日
 次週から始まるサマーグランプリ遠征を控え、国内でのサマージャンプ大会も佳境に突入します。 8月4日から5日にかけての二日間はサマージャンプとしてもおなじみとなった大会。 サマーグランプリ遠征組の最終調整といったところでしょうか。

●8月4日 UHB杯サマージャンプ大会2001 ラージヒルK120
 「夏男」原田雅彦(雪印乳業)がその強さを存分に発揮した大会となりました。 1stラウンドで134.5mを飛んで3位につけた原田は、2ndラウンドでも133.0mの安定した飛行を見せ、逆転で優勝しました。 2位は1stラウンドで133.5mを飛んでトップに立っていた葛西紀明(チームマイカル)、3位には伏兵・柴田康宏(東京美装)が入りました。 船木和喜(フィットスキー)は1stラウンドで141.0mを飛びましたが、惜しくも転倒して結局4位、今シーズン好調なスタートを切った岡部孝信(雪印乳業)は5位でした。

●8月5日 第19回札幌市長杯宮の森サマー・ジャンプ大会  ノーマルヒルK90
 ここ数年サマージャンプでは非常によい成績を収めている佐藤昌幸(NTT東日本北海道)が、この日は大活躍しました。 1stラウンドで94.0mを飛んでトップに立つと、2ndラウンドでも93.5mの堂々としたジャンプで他の選手を振りきり、圧勝しました。 2ndラウンドのジャンプは飛型審判員5人のうち3人が20点満点をつけた見事なものでした。 2位は原田雅彦(雪印乳業)、3位は山田大起(北野建設)でした。 サマーグランプリ遠征メンバーでは葛西紀明(チームマイカル)は8位に入りましたが、船木和喜(フィットスキー)は前日の転倒が祟ったのか38位と振るいませんでした。


■サマーグランプリ遠征メンバー■2001年8月6日
 8月11日からドイツのヒンターツァルテンで始まるサマーグランプリの遠征メンバーが発表されています。 現在調子が良く、海外の試合で充分な結果を残せる実力を持った選手が選ばれています。

葛西紀明(チームマイカル)、原田雅彦(雪印乳業)、船木和喜(フィットスキー)、吉岡和也(デサント)、渡瀬雄太(雪印乳業)、安崎直幹(NTT東日本北海道)、佐藤昌幸(NTT東日本北海道)

当初、宮平秀治(ミズノ)と仲村和博(チームマイカル)が選ばれていましたが、怪我のため遠征を辞退したそうで、その代わりに佐藤が急遽メンバーに選ばれたようです。


■2001 FISグランプリスキージャンプ開幕■2001年8月15日
 2001年のサマージャンプもいよいよグランプリシリーズを迎えました。 開幕戦はドイツのヒンターツァルテンでノーマルヒル(K95)の2連戦です。

●8月11日 第1戦 ノーマルヒルK95
 昨シーズン圧倒的な強さを発揮してワールドカップ総合優勝を果たしたのがアダム・マリシュ(POL)。 この日もマリシュの強さが光り、1stラウンドでは106.0m、2ndラウンドでは103.5mを飛んで堂々の優勝です。 2位はマルティン・シュミット(GER)、3位はシュテファン・ホルンガッハ(AUT)でした。 日本勢は船木和喜(フィットスキー)が4位に入賞。 以下、原田雅彦(雪印乳業)は14位、葛西紀明(チームマイカル)は22位、安崎直幹(NTT東日本北海道)は38位、吉岡和也(デサント)は44位でした。

●8月12日 第2戦 ノーマルヒルK95
 マリシュの2連勝なるか、といったところが見所となった二日目ですが、この日はオーストリア勢が奮起してマリシュの連勝を阻止。 マルティン・ヘルヴァルト(AUT)が2ndラウンドに111.0mの大ジャンプを見せて優勝しました。 2位はアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)、3位はマルティン・シュミット(GER)でした。 日本勢は原田雅彦(雪印乳業)がアダム・マリシュ(POL)と同ポイントで9位タイ、船木和喜(フィットスキー)が14位、佐藤昌幸(NTT東日本北海道)が27位でした。

 シーズン初めの開幕戦ということで、選手毎の調整とその仕上がり具合はまちまちのようです。 日本人選手では、国内大会から安定した成績を出している原田雅彦(雪印乳業)や船木和喜(フィットスキー)が順当に上位に食い込んできていますが、葛西紀明(チームマイカル)がヨーロッパに渡ってから今ひとつ調子が上がらず苦しんでいます。 とはいえ、サマーグランプリは始まったばかり。 この後各地を転戦しながら、選手達のコンディションも少しずつ良くなっていくことでしょう。 グランプリ第3戦は14日にフランスのクーシュペルで行われます。


■FISグランプリスキージャンプ 第3戦・第4戦■2001年8月20日
 サマーグランプリのヨーロッパシリーズ、第3戦と第4戦の結果をまとめます。

●8月14日 第3戦 クーシュベル(FRA) ラージヒルK120
 今年のサマーグランプリは例年に比べて荒れ模様のようで、優勝者が毎回変わります。 第3戦を制したのはアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)。 1stラウンドで10位だったヴィドヘルツルは2ndラウンドで127.5mの最長不倒距離を飛んで逆転優勝しました。 2位はアダム・マリシュ(POL)、3位はヤンネ・アホネン(FIN)でした。 また、昨シーズンの後半戦、オーベルシュトドルフのフライングヒルあたりから頭角を現してきたアラン・アルボーン(USA)がこの日は6位に入賞しました。 日本人選手は全般的にふるわず、原田雅彦(雪印乳業)の15位が最高。 以下、渡瀬雄太(札幌日大高)が22位、佐藤昌幸(NTT東日本北海道)が23位、船木和喜(フィットスキー)が36位、葛西紀明(チームマイカル)が39位でした。

●8月18日 第4戦 シュタムス(AUT) ラージヒルK105
 ラージヒルとしては小さめのシャンツェで行われた第4戦、優勝は伏兵ロベルト・チェコン(ITA)でした。 1stラウンドでトップに立ったチェコンは2ndラウンドでも111.5mと安定したジャンプを見せ、見事逃げ切りました。 2位はマルティン・ヘルヴァルト(AUT)、3位はイゴール・メドヴェド(SLO)でした。 日本人選手は渡瀬雄太(札幌日大高)が6位に入賞、船木和喜(フィットスキー)が11位、吉岡和也(デサント)が28位、佐藤昌幸(NTT東日本北海道)が37位、原田雅彦(雪印乳業)が43位でした。

 グランプリスキージャンプ大会のヨーロッパシリーズはここで終了し、この後はアジアシリーズとして9月に日本で3戦が行われます。[スケジュール]

 サマージャンプのワールドカップと位置づけられるグランプリスキージャンプ大会は、そのシーズンの行方を占う上で大きな意味を持ちます。 サマージャンプで良い成績を残した選手が冬の大会でも強さを発揮するとは限りませんが、スキージャンプがオールシーズン化しつつある現状では、夏と冬を切り離して考えることは非現実的です。 そうした事情から、サマージャンプで良い成績を残すのは冬の大会でも強さを発揮する実力者が多いわけです。
 今シーズンのサマーグランプリを振り返ってみると、優勝者が毎試合違うことが非常に特徴的です。 1戦目から順を追ってみると、アダム・マリシュ(POL)、マルティン・ヘルヴァルト(AUT)、アンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)、ロベルト・チェコン(ITA)となり、飛び抜けて調子の良い選手がいないような印象を受けます。 日本人選手は皆、本調子とは言い難いようで、特に葛西紀明(チームマイカル)の不調が気にかかるところ。 この4戦で表彰台に上がることもなく、各選手とも調整はまだまだこれからのようです。 日本で行われる残り3戦に期待しましょう。

 今シーズンのワールドカップは混戦の予感が‥‥?


■FISグランプリスキージャンプ 第5戦■2001年9月6日
 サマーグランプリのアジアシリーズ緒戦となる札幌大会(ラージヒル個人戦)が、5日に大倉山ジャンプ競技場で行われました。

●9月5日 第5戦 札幌(JPN) ラージヒルK120
 大倉山で行われるワールドカップクラスの国際大会としては初めてのナイトゲームとなったこの試合、優勝したのはシュテファン・ホルンガッハ(AUT)でした。 1stラウンドで129.0mを飛んで2位につけたホルンガッハは2ndラウンドでは132.0mの最長不倒距離をマークし、逆転でこの試合を制しました。 2位はアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)、3位はアラン・アルボーン(USA)でした。 日本人選手は原田雅彦(雪印乳業)が5位に入賞、渡瀬雄太(雪印乳業)が8位、船木和喜(フィットスキー)が11位でした。 葛西紀明(チームマイカル)は2ndラウンドに進むことができませんでした。

 サマーグランプリのアジアシリーズは、8日から9日にかけて白馬でラージヒル個人戦を2戦行います。 今シーズンこれまで今ひとつ調子に乗れないでいるチームジャパン、得意の白馬の台で最後の巻き返しをはかってほしいものです。 この白馬大会は私も現地に観戦に行きます。 後日写真と観戦レポートを掲載する予定です。


■最後は原田だ!〜FISグランプリスキージャンプ 白馬大会■2001年9月11日
 サマーグランプリのアジアシリーズ最終戦となる白馬大会(ラージヒル個人戦)が9月8日から9日にかけて白馬ジャンプ競技場で行われました。 両日とも現地で観戦してきました。

●9月8日 第6戦 白馬(JPN) ラージヒルK120 [フォトレポート]
 2連戦のうちの緒戦はナイトゲーム。 曇り空ながら風はほとんどなく、気温の変化もわずかで絶好のコンディションでした。 優勝は、トライアルから好調だったオーストリア勢の中でも一番安定しているシュテファン・ホルンガッハ(AUT)。 1stラウンドに126.5m、2ndラウンドに122.5mを飛び、それぞれのラウンドでトップのポイントを叩き出しての勝利です。 2位は2ndラウンドでホルンガッハと並ぶ122.5mを飛んで追い上げたアダム・マリシュ(POL)、3位はアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)でした。 日本人選手は思うように飛距離を伸ばせず、1stラウンドで120.0mを飛んだ原田雅彦(雪印乳業)の9位が最高。 以下、吉岡和也(デサント)が10位、佐藤昌幸(NTT東日本北海道)が13位、宮平秀治(ミズノ)が15位、葛西紀明(チームマイカル)が16位、船木和喜(フィットスキー)が22位、渡瀬雄太(雪印乳業)が23位でした。 岡部孝信(雪印乳業)は37位で2ndラウンドに進めませんでした。

●9月9日 第7戦 白馬(JPN) ラージヒルK120 [フォトレポート]
 朝から安定しない天候だったこの日、雨はトライアルラウンドの直前にあがったものの風の向きと強さがめまぐるしく変化し、白馬ジャンプ競技場としては難易度の高い条件で試合が行われました。 今年のサマーグランプリ最終戦となるこの試合を制したのは、人気、知名度とも抜群のチームジャパンの英雄、原田雅彦(雪印乳業)でした。 1stラウンドでは無風の条件下でただ一人K点を越える123.5mを飛んでトップに立ち、2ndラウンドでは向かい風を上手くとらえて126.0mまで飛距離を伸ばして圧勝しました。 2位は2ndラウンドでこの日の最長不倒距離となる133.5mを飛んだマルティン・ヘルヴァルト(AUT)、3位には今シーズン着実に実力を伸ばしてきているペテル・ジョンタ(SLO)が入りました。 原田以外の日本人選手では、渡瀬雄太(雪印乳業)が6位入賞と健闘。 以下、2ndラウンドにK点を越えて順位を上げた宮平秀治(ミズノ)が10位、葛西紀明(チームマイカル)が12位、佐藤昌幸(NTT東日本北海道)が17位でした。 1stラウンドで転倒した船木和喜(フィットスキー)は2ndラウンドを棄権し30位、吉岡和也(デサント)と岡部孝信(雪印乳業)は2ndラウンドに進めず、それぞれ31位と36位でした。



 サマーグランプリはこの大会をもって終了です。 個人総合成績は、

1位 アダム・マリシュ(POL) 397pt
2位 アンドレアス・ゴルトベルガー(AUT) 364pt
3位 シュテファン・ホルンガッハ(AUT) 357pt
4位 マルティン・ヘルヴァルト(AUT) 333pt
5位 原田雅彦(雪印乳業) 237pt

となりました。 他には、1997年〜1998年にワールドカップで大活躍したプリモジュ・ペッテルカ以来目立った成績を上げられなかったスロヴェニア陣が奮闘し、6位にダミアン・フラスが、7位にイゴル・メドヴェドが食い込んでいます。 来年2月に地元での冬季五輪を控えるアメリカは、若いアラン・アルボーンが着実に力をつけており、総合で8位に入りました。
 日本で行われた3戦にはマルティン・シュミット(GER)やスヴェン・ハンナヴァルト(GER)、そして実力者ヤンネ・アホネンを擁するフィンランドチームが参加しておらず、このサマーグランプリの結果がそのまま現在の”勢力地図”にはなりませんが、今シーズンの行方を占うのに無視できない内容であることは確実です。 11月から始まるワールドカップ本戦を楽しみに待ちましょう。



雑感〜観客席から見た白馬大会

 1日目のナイトゲームは、観客にとっても最高のコンディション。 暑くもなく寒くもなく、風はなく雨も降らず、気分良く観戦できる条件でした。 残念だったのは日本人選手が入賞できなかったこと。 会場内のアナウンスはもとより観客と一緒になって応援するスタッフの声も、日本人選手に向かい風を吹かせることはできませんでした。 しかし目の前で繰り広げられるK点越えジャンプの応酬は迫力満点。 良いジャンプをすれば国やチームを問わず大きな声援と拍手が送られ、白馬でのスキージャンプ競技が観客にしっかりと根付いているという印象を受けました。

 2日目は正午の入場開始直前から雨が降り出すあいにくの天候。 この日は競技運営に白馬中学校の生徒さんが参加しており、雨のなか傘も差さずに一生懸命動き回る姿が印象的でした。 トライアルラウンドが開始されるころには雨はあがり、以降雨が降ることはありませんでしたが、その代わりに風の条件が厳しくなってきます。 観客席から見ている限りでは、特にカンテ(踏切台)とその周辺の風向きが追い風になることが多く、1stラウンドではほとんどの選手がK点を越えられませんでした。

 盛り上がるのはやはり2ndラウンド。 宮平秀治(ミズノ)のK点越えジャンプが日本人選手への応援に火をつける形になり、向かい風が吹き始めたラスト5名ほどでは、電光掲示板の順位に変化が見られる度に歓声が上がります。 2ndラウンド最後の飛躍となる原田雅彦(雪印乳業)がK点を大きく越えてテレマーク姿勢も決めると、観客は総立ちに。 原田の優勝が正式にアナウンスされた瞬間、長野冬季五輪以来ではないかと思われる大きな歓声が上がりました。

 サマーグランプリの最終戦の一番”おいしいところ”で優勝を飾ったのが人気抜群の原田ですから、表彰式を見ようとブレーキングトラック前に駆けつけた観客の数も尋常ではありません。 原田のインタビューも盛り上がりに拍車をかけ、一時会場内は騒然となりました。 このところ良い成績を出せず「低迷している」という印象さえあったチームジャパンですが、原田が勝つとそんな暗いイメージも完全に吹き飛んでしまいます。 来年のソルトレイクシティ冬季五輪に向け「また何かやってくれるのでは」という期待を抱かせる、最高の大会であったと思います。


■妙高高原赤倉シャンツェ竣工記念サマージャンプ大会■2001年9月20日
 新潟県妙高高原赤倉シャンツェの竣工を記念したサマージャンプ大会が、9月16日に行われました。 K90のノーマルヒルです。 優勝は、前週のサマーグランプリ白馬大会二日目を制した原田雅彦(雪印乳業)。 1stラウンドに93.0m、2ndラウンドは95.5mを飛び、それぞれのラウンドでトップのポイントを叩き出して圧勝しました。 2位は2ndラウンドにK点を越えた葛西紀明(チームマイカル)、3位は吉岡和也(デサント)でした。 また、少年の部は池田峻二(下高井農林高)が、女子の部では渡瀬あゆみ(札幌日大高)がそれぞれ優勝しました。
 この大会は「新潟県妙高高原サマージャンプ大会」の第1回を兼ねており、今後は妙高赤倉シャンツェで毎年サマージャンプが行われることになります。


■チームマイカルのメンバー、土屋ホームへ■2001年10月25日
 (株)マイカルが会社更生法適用を申請したため、競技活動の続行が危ぶまれていたチームマイカルのメンバーですが、10月21日付の報道によると、チーム全員が(株)土屋ホームへ移籍することが決定した模様です。 11月には新チームを発足させて本格的に活動を再開するとのことです。


■SAJ代表選手最終選考会■2001年10月25日
 全日本スキー連盟(SAJ)のソルトレイクシティ冬季五輪代表選手最終選考会が10月21日に白馬ジャンプ競技場で行われました。 この選考会はSAJとしての選考を目的としたものであるため、SAJに加盟していない選手は参加していません。 競技はラージヒル(K120)で行われ、吉岡和也(デサント)が124.5mと126.0mを飛んで優勝しました。 2位は山田大起(北野建設)、3位は原田雅彦(雪印乳業)でした。

 葛西紀明をはじめチームマイカルの選手達は、チームマイカル名義で参加する最後の競技会となりました。 この競技会をもって今シーズンのサマージャンプ公式戦は終了し、来月からはいよいよワールドカップ本戦が始まります。


■2001−2002 FISワールドカップスキージャンプ開幕■2001年11月25日
 2001−2002ワールドカップジャンプの開幕です。 来年2月にソルトレイクシティ冬季五輪を控え、勢いの波に乗ることができるかどうかを占う重要な試合となります。 開幕戦はフィンランドのクォピオでラージヒル(K120)2連戦が行われました。

●11月23日 個人第1戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 開幕緒戦ということで独特の緊張感が漂う個人第1戦、優勝したのは昨シーズン個人総合成績で優勝したアダム・マリシュ(POL)でした。 力強く素早いサッツ(踏切動作)から高い飛行曲線で飛距離を伸ばし、2ndラウンドではこの日の最長不倒距離タイ126.5mをマークして逆転優勝しました。 2位は、昨シーズンの個人総合成績2位だったマルティン・シュミット(GER)、3位は船木和喜(フィットスキー)でした。 船木は個人戦としては実に2シーズンぶりの表彰台となります。
 その他の日本人選手は、葛西紀明(土屋ホーム)が19位、吉岡和也(デサント)が40位、佐藤昌幸(NTT東日本北海道)が49位でした。 宮平秀治(ミズノ)、原田雅彦(雪印乳業)、渡瀬雄太(雪印乳業)、仲村和博(土屋ホーム)の4名は予選を通過することができませんでした。

●11月24日 個人第2戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 個人第2戦は6位入賞圏内でのポイント差がわずか5.2ポイントという接戦となりました。 優勝はリスト・ユシライネン(FIN)。 1stラウンドで127.5mの最長不倒距離をマークして逃げ切りました。 2位はアダム・マリシュ(POL)、3位はマルティン・ヘルヴァルト(AUT)でした。
 日本人選手は、船木和喜(フィットスキー)が6位入賞。 以下、葛西紀明(土屋ホーム)が23位、宮平秀治(ミズノ)が27位、原田雅彦(雪印乳業)が29位でした。 吉岡和也(デサント)は2ndラウンドに進めず、佐藤昌幸(NTT東日本北海道)、渡瀬雄太(雪印乳業)、仲村和博(土屋ホーム)の3名は予選を通過することができませんでした。

 左後方からの強い風で悩まされることの多いクォピオのシャンツェですが、この2連戦は風も穏やかで安定していて、競技はスムーズに進行しました。 強さを発揮したマリシュやユシライネンらは実力通りの結果だと見て良いでしょうが、力はあるのに調整不足のため好成績を残せなかった選手も相当多いというのが現状です。
 チーム単位で見るとドイツチームの安定感が光ります。 特に注目したいのは18歳の新鋭シュテファン・ホッケ。 クォピオのシャンツェではK点越えを連発し、現在絶好調です。 エースのマルティン・シュミットと共に今季のドイツチームの鍵を握ることになるでしょう。 サマージャンプで好調だったオーストリアは、この2試合を見る限りどの選手にもまだ固さが見られ、今ひとつ歯車がかみ合っていないようです。 フィンランドはエースのヤンネ・アホネンがまだ本調子でなく、波に乗り切れていません。
 日本チームはまだまだこれから、というところ。 所属チームの変更で練習不足といわれた葛西紀明ら土屋ホームの選手達や、好調だと言われておきながら試合で結果を出せていない吉岡和也の状態が気になりますが、船木の好調さがフロックでないのが救いです。 この後も船木が中心となってチームを引っ張っていくことになるでしょう。

 ワールドカップはこの後舞台をドイツのノイシュタットに移すことになります。


■船木、ソルトレイクシティ冬季五輪代表内定■2001年11月25日
 11月23日に行われたワールドカップ個人第1戦で3位に入賞して表彰台に上がった船木和喜(フィットスキー)が、来年2月に行われるソルトレイクシティ冬季五輪の代表に内定しました。
 全日本スキー連盟(SAJ)の方針によると、冬季五輪代表選手は次の条件を満たした選手を優先的に選考するとのことです。

  1月末までのワールドカップ本戦を選考の対象として、
    1) 1試合でも3位以内に入賞して表彰台に上がった選手
    2) 1試合でも6位以内に入賞した選手
    3) 総合成績で15位以内に入っている選手

 船木は上記1)の条件を満たし、代表選手内定一番乗りとなりました。


■ワールドカップジャンプ ノイシュタット大会■2001年12月3日
 ワールドカップ本戦の開催は今回が初めてとなるノイシュタットのラージヒル。 K点が120mですが、ジュリーディスタンス(これ以上飛んだら危険とされる距離)が142.0mという、特大のシャンツェです。 気温が高く雪が少ない当地で、人工雪をランディングバーンに張り付けて競技が行われました。

●12月1日 個人第3戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 優勝はアダム・マリシュ(POL)、2位はマルティン・シュミット(GER)、3位はシュテファン・ホッケ(GER)でした。 138.5mと136.0mを飛んだマリシュは2位のシュミットに38.8ポイントもの大差をつけ、まさしく「圧勝」です。 特に2ndラウンドのジャンプが秀逸。 雪の条件が悪くなって各選手飛距離が伸び悩む中、ただ一人、2本とも130mを越えるジャンプを揃えました。
 日本人選手は好調の船木和喜(フィットスキー)が6位に入賞しました。 以下、原田雅彦(雪印乳業)が18位、吉岡和也(デサント)が19位、葛西紀明(土屋ホーム)が25位でした。

●12月2日 個人第4戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 この日優勝したのは、前日の試合でジャンプスーツに違反があったとして記録が抹消されてしまったスヴェン・ハンナヴァルト(GER)でした。 2ndラウンドに136.0mの最長不倒距離を飛んで逃げ切りました。 2位はアダム・マリシュ(POL)、3位はアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)でした。
 日本人選手は、原田雅彦(雪印乳業)が4位に、船木和喜(フィットスキー)が5位タイに、それぞれ入賞しました。 原田は1stラウンドの3位から一つ順位を落としてしまいましたが、今シーズン初めての入賞です。 以下、吉岡和也(デサント)が14位、葛西紀明(土屋ホーム)が21位、宮平秀治(ミズノ)が30位でした。 仲村和博(土屋ホーム)は2ndラウンドに進むことができませんでした。

 この時季のドイツ南西部はまだ気温が高いようで、シャンツェの周辺には雪はほとんどありません。 あいにく小雨まで降り出して、悪条件で試合が行われた二日間でした。 目についたのは地元ドイツ勢の奮闘ぶり。 実力者マルティン・シュミットやスヴェン・ハンナヴァルトの他に、新鋭シュテファン・ホッケが記録を伸ばし、ジャンプ週間やオリンピックへ向けて順調に調整が進んでいることを伺わせます。
 日本チームは、船木の好調さが維持されていること、原田や吉岡のジャンプが安定してきたことが高く評価できます。 表彰台にはあと一歩届かなかったのが残念ですが、昨シーズンよりも各選手の状態はずっと良いので、見ていて不安はさほど感じませんでした。

 次の試合はオーストリアのフィラハでノーマルヒル2連戦。 個人戦と団体戦が1試合ずつ行われる予定です。 原田が非常に得意にしているシャンツェですから、期待しましょう。


■ワールドカップジャンプ フィラハ大会■2001年12月10日
 ワールドカップで年々その試合数が減っているノーマルヒル。 今シーズンはオーストリアのフィラハで行われるこの2試合のみとなっています。 初日は個人戦、二日目は団体戦が行われました。

●12月8日 個人第5戦 ノーマルヒルK90 [リザルト]
 個人戦を制したのはアダム・マリシュ(POL)。 99.5mと98.0mを飛び、ダントツの優勝です。 2位にはマッティ・ハウタマキ(FIN)、3位には船木和喜(フィットスキー)が入りました。 予選でマリシュと並んで大ジャンプを連発していたスヴェン・ハンナヴァルト(GER)は4位でした。
 その他の日本人選手は、葛西紀明(土屋ホーム)がマルティン・ヘルヴァルト(AUT)と並んで7位タイ、宮平秀治(ミズノ)が12位でした。 原田雅彦(雪印乳業)、吉岡和也(デサント)、佐藤昌幸(NTT東日本北海道)は2ndラウンドに進むことができませんでした。

●12月9日 団体第6戦 ノーマルヒルK90 [リザルト]
 今シーズン最初の団体戦です。 シーズン開幕直後ということで各チーム必ずしもベストメンバーで臨めているわけではないようですが、それぞれのチームの状態を顕著に表す結果となりました。
 優勝はフィンランド(リンドストローム/ニエミネン/M.ハウタマキ/ユシライネン)、2位は日本(吉岡/宮平/葛西/船木)、3位はポーランド(マテヤ/スクーピエン/クルチェク/マリシュ)でした。 好調ハンナヴァルトを擁するドイツは、エースのマルティン・シュミットや現在絶好調の若手シュテファン・ホッケがメンバーを欠いたメンバーで臨み、4位に終わりました。

 前週のノイシュタットと同様にフィラハでも雪不足のようで、ニュースで流れる映像を見るとシャンツェの周辺には雪がほとんどありません。 風の条件も良くなかったらしく、7日に行われた個人予選と翌8日の個人本戦とでは成績上位の顔ぶれが大きく変わっていました。
 この両日でも一番目についたのはやはりポーランドのマリシュ。 ジャンプの条件が悪くなればなるほど真価を発揮する「強さ」を支えるのは、完成度世界一とまでいわれるそのサッツ(踏切動作)です。 昨シーズン以上に失敗ジャンプの確率が低くなり、強さにますます磨きがかかったといえるでしょう。 チーム全体にも良い影響を及ぼしているようで、二日目の団体戦でポーランドチームはワールドカップで初めての表彰台に上がりました。

 日本チームでは、船木の好調さが光ります。 個人戦では今シーズン2度目の表彰台で、シーズン開幕から続いている連続入賞記録を伸ばしました。 また葛西がだいぶ良い感覚を取り戻してきたようで、ノイシュタットで見られたサッツ時の「悪い癖」も見られなくなり、団体戦の1stラウンドでは95.0mの大ジャンプも見せました。 チームジャパンいよいよ本格始動、といったところでしょうか。

 次のワールドカップはスイスのエンゲルベルクでラージヒル個人戦が2戦予定されています。


■ワールドカップジャンプ エンゲルベルク大会■2001年12月17日
 12月15日から16日にかけて、スイスのエンゲルベルクでラージヒル2連戦が行われました。 ランディングバーンの傾斜が急で、シャンツェのプロフィールとしては比較的旧式の台です。

●12月15日 個人第6戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 1位から6位までのポイント差が1.8点、距離にしてわずか1m分という接戦になったこの試合、優勝したのは134.0mと132.5mを飛んだシュテファン・ホッケ(GER)でした。 2位はスヴェン・ハンナヴァルト(GER)、3位はマッティ・ハウタマキ(FIN)でした。
 日本人選手は宮平秀治(ミズノ)が15位、葛西紀明(土屋ホーム)が25位、吉岡和也(デサント)が29位でした。 船木和喜(フィットスキー)は39位で2ndラウンドに進めませんでした。

●12月16日 個人第7戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 この日は前日優勝を逃したアダム・マリシュ(POL)が巻き返し、2ndラウンドに追い風の悪条件の下134.5mの最長不倒距離をマークして逆転優勝しました。 2位はシモン・アマン(SUI)、3位はマルティン・コッホ(AUT)でした。
 日本人選手は1stラウンドで22位だった宮平秀治(ミズノ)が2ndラウンドで129.0mの大ジャンプを見せて順位を上げ、8位に食い込みました。 以下、吉岡和也(デサント)が24位、葛西紀明(土屋ホーム)が30位、原田雅彦(雪印乳業)が35位、船木和喜(フィットスキー)が47位でした。

 この2試合のポイントは、アプローチのスピードがオーバースピード気味に設定されたことでしょう。 そのため、マリシュら実力のある選手は飛びすぎによる転倒を気にしてしまい、全般的に飛距離が伸びませんでした。 その代わりに優勝争いに加わったのがホッケやアマン、コッホといった若手選手です。 2戦目でマリシュが見せた最長不倒距離の大ジャンプは、若手に負けまいとするワールドカップランキング1位の意地でもあるのでしょう。

 日本人選手は全体的に低調でした。 船木はここのシャンツェとの相性が悪いらしく、二日間とも良いジャンプができていませんでした。 宮平は低調な日本チームの中で孤軍奮闘、試合毎に次第に調子を上げてきており、二日間ともK点を大きく越えるジャンプを連発していました。 この後のワールドカップ転戦に向けて、頼もしい戦力となるでしょう。

 ワールドカップは来週イタリアのヴァル・ディ・フィエンメでラージヒル2連戦が予定されています。 日本チームは船木を除く全員が一時帰国して年末年始のジャンプ週間に向けた調整に入るため、ヴァル・ディ・フィエンメの2連戦にはコンチネンタルカップ(ワールドカップより一つ格下)を転戦している若手選手が出場する予定です。


■ワールドカップジャンプ ヴァル・ディ・フィエンメ大会■2001年12月23日
 2003年のノルディックスキー世界選手権の開催が決まっている、イタリアのヴァル・ディ・フィエンメ。 そのプレダッツォのラージヒル(K120)を使って個人戦が2戦行われました。 日本チームはスロヴェニアに拠点を構える船木和喜(フィットスキー)はそのまま参加しましたが、原田、宮平、葛西、吉岡、佐藤、仲村、渡瀬の主力7名が一時帰国しているため、代わりにコンチネンタルカップを転戦中の若手選手4名(山田大起(北野建設)/高野鉄平(利根商高)/柴田康宏(東京美装)/安川友貴(札幌日大高))が出場することになりました。

●12月21日 個人第8戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 優勝はアダム・マリシュ(POL)。 ただ一人130mジャンプを2本揃えて2位以下をかわしました。 2位はアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)、3位はシモン・アマン(SUI)でした。
 日本人選手では船木和喜(フィットスキー)の15位が最高。 山田大起(北野建設)が30位に入りましたが、高野鉄平(利根商高)と安川友貴(札幌日大高)は2ndラウンドに進むことができず、柴田康宏(東京美装)は予選を通過することができませんでした。

●12月22日 個人第9戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 二日目の試合で上位に食い込んだのは一日目と同じような顔ぶれ。 優勝はアダム・マリシュ(POL)、2位はシモン・アマン(SUI)、3位はアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)でした。
 日本人選手はこの日も不調。 船木和喜(フィットスキー)が24位、山田大起(北野建設)が25位と奮いませんでした。 柴田、高野、安川の3名は予選を通過することができませんでした。

 この2連戦、上位5名は両日とも顔ぶれが同じで、ここへ来て調子の善し悪しが選手毎にはっきり分かれてきているような印象を受けます。 2連勝したマリシュは流石としか言いようがありませんが、注目したいのはスイスの新鋭シモン・アマン。 前週のエンゲルベルク戦でワールドカップの表彰台を初めて経験してから完全に一皮むけたようで、今は絶好調のピークにあるのでしょう。 身長が低くスキー板のレギュレーションに悩み続けた選手の一人ですが、現在の調子を維持していけば今後のスイスチームを背負って立つエースになることは間違いありません。 今後の活躍に期待したい選手です。

 日本人選手では、どうしても船木の低調さが目についてしまいます。 前週のエンゲルベルク戦からアプローチのポジションに狂いが出てきているのか、この2連戦でもK点を大きく越えるジャンプはトレーニング、予選、本戦を通じて見られませんでした。 ジャンプ週間まであと一週間、それまでに何とか勘を取り戻してほしいものです。
 今回出場した日本の若手選手は、次の世代を担う重要なポストにいます。 今回の大会のような経験を一つずつ積んでいくことが、今後の成長の重要な鍵となります。 山田一人が孤軍奮闘したような結果ですが、海外のワールドカップで強豪選手と並んでジャンプを飛んだという経験は、各選手とも今後の競技活動で大きな自信につながることと思います。

 次のワールドカップは12月30日のドイツ、オーベルシュトドルフ戦。 いよいよジャンプ週間の開幕です。 注目しましょう。


■ジャンプ週間開幕! オーベルシュトドルフ大会■2002年1月1日
 ドイツとオーストリアの4つのシャンツェを転戦して総合成績を競うジャンプ週間(Springertournee 又は4 Schanzen Tournee)が今シーズンも始まりました。 緒戦はワールドカップ個人第10戦を兼ねてドイツのオーベルシュトドルフでラージヒル個人戦(K115)が行われました。

●12月30日 個人第10戦 ラージヒルK115 [リザルト]
 優勝したのはスヴェン・ハンナヴァルト(GER)でした。 K点を大きく超える122.0mのジャンプを2本揃え、抜群の安定感で並みいる強豪を振り切りました。 2位は2ndラウンドに129.0mの最長不倒距離をマークして9位から順位を上げたマルティン・ヘルヴァルト(AUT)。 3位は好調のシモン・アマン(SUI)でした。 優勝候補の最右翼、現在個人総合成績トップのアダム・マリシュ(POL)は5位に終わりました。

 日本人選手は山田大起(北野建設)が大健闘して11位に入りましたが、その他は今ひとつ低調。 宮平秀治(ミズノ)は14位、船木和喜(フィットスキー)が28位でした。 原田雅彦(雪印乳業)と吉岡和也(デサント)は2ndラウンドに進めず。 葛西紀明(土屋ホーム)は予選を通過することができませんでした。

 ジャンプ週間の第2戦は1月1日にドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘンで行われます。


■ジャンプ週間第2戦 ガルミッシュ・パルテンキルヘン大会■2002年1月2日
 ジャンプ週間の第2戦は毎回元日の開催です。 場所はドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘン。 冬季五輪にも使われた伝統あるタワー型のシャンツェです。

●1月1日 個人第11戦 ラージヒルK115 [リザルト]
 優勝はこの日もスヴェン・ハンナヴァルト(GER)。 2ndラウンドには125.0mの大ジャンプを見せて、1stラウンドの2位から逆転優勝を果たしました。 2位は1stラウンドでトップに立っていたアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)、3位はアダム・マリシュ(POL)でした。

 日本人選手では山田大起(北野建設)が4位に入賞する大健闘。 1stラウンドで5位につけた山田は2ndラウンドで124.5mまで飛距離を伸ばし、4位に食い込みました。 惜しくも表彰台は逃したものの、自身初のワールドカップの入賞がジャンプ週間の本戦というのは大変輝かしい成績です。
 その他の選手は宮平秀治(ミズノ)が12位タイに入った以外は1stラウンドで敗退してしまい、今ひとつ元気がありませんでした。 山田一人が孤軍奮闘している状態から早く脱して、チーム全体で調子の良い選手を盛り立てていけるようになってほしいものです。

 ジャンプ週間の第3戦は1月4日にオーストリアのインスブルックで行われます。


■ジャンプ週間第3戦 インスブルック大会■2002年1月5日
 これまで2回冬季五輪が行われたインスブルックのベルクイーゼルのシャンツェ。 昨年まではK110の古いプロフィールのシャンツェでしたが、昨年の夏に大改装が行われて近代的なシャンツェに生まれ変わりました。 今回の試合が改装後初のワールドカップです。

●1月4日 個人第12戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 優勝したのはスヴェン・ハンナヴァルト(GER)。 1stラウンドで134.5mのバッケンレコードを記録し、2ndラウンドも128.0mの大ジャンプを見せて圧勝しました。 これでジャンプ週間3連勝です。 2位はアダム・マリシュ(POL)、3位はマルティン・ヘルヴァルト(AUT)でした。

 日本人選手は1stラウンドで122.0mまで飛距離を伸ばした宮平秀治(ミズノ)が10位に入りましたが、前回のガルミッシュで4位に入賞した山田大起(北野建設)は固さが見られて13位、船木和喜(フィットスキー)は16位、葛西紀明(土屋ホーム)は28位でした。

 ジャンプ週間の最終戦は1月6日にオーストリアのビショフスホーフェンで行われます。


■2001−2002国内公式戦 開幕■2002年1月7日
 毎年12月中旬から始まる国内の公式戦。 昨年末12月15日から16日にかけて、名寄のピヤシリシャンツェでノーマルヒル2連戦が予定されていましたが、緒戦の第32回ピヤシリジャンプ大会が翌日に順延となり、12月16日の第17回吉田杯ジャンプ大会がピヤシリジャンプ大会を兼ねて行われました。 年明けて最初の公式戦は、すっかりお馴染みとなった1月6日の雪印杯です。

●12月16日 第17回吉田杯ジャンプ大会 名寄ピヤシリシャンツェ ノーマルヒルK90
 成年の部を制したのは安崎直幹(NTT東日本北海道)。 1stラウンドの96.0mの大ジャンプで逃げ切りました。 2位は齋藤浩哉(雪印乳業)、3位は坂野幸夫(雪印乳業)でした。 また、少年の部は細山周作(余市高)、女子の部は山田いずみ(浅井学園大短大部)がそれぞれ優勝しました。

●1月6日 第43回雪印杯全日本ジャンプ大会 宮ノ森ジャンプ競技場 ノーマルヒルK90
 成年の部は東輝(日本空調サービス)が圧勝。 95.5mと93.0mの2本の大ジャンプを揃えて2位以下を圧倒しました。 2位は西森享平(丸善食品工業)、3位は吹田幸隆(雪印乳業)でした。 少年の部は樋口大二郎(北照高)、レディースの部は山田いずみ(浅井学園大短大部)、ジュニアの部は長南翼(朝日中)がそれぞれ優勝しました。


■ジャンプ週間最終戦 ビショフスホーフェン大会■2002年1月7日
 ドイツのスヴェン・ハンナヴァルトが3連勝という圧倒的な強さで迎えたジャンプ週間の最終戦。 場所はオーストリアのビショフスホーフェン。 ワールドカップで使用されるシャンツェの中でも最難関といわれる、クセのある難しい台です。

●1月6日 個人第13戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 優勝したのはスヴェン・ハンナヴァルト(GER)。 1stラウンドで139.0mの最長不倒距離を記録して逃げ切り、前人未踏のジャンプ週間4連勝を達成しました。 スキージャンプの歴史の中でも最大の偉業といって良いでしょう。 2位はマッティ・ハウタマキ(FIN)、3位はマルティン・ヘルヴァルト(AUT)でした。 ワールドカップ個人総合成績でトップに立つアダム・マリシュ(POL)は9位に終わりました。

 日本人選手では、ここのシャンツェを得意としている葛西紀明(土屋ホーム)が20位に入ったのが最高順位でした。 以下、原田雅彦(雪印乳業)は23位、船木和喜(フィットスキー)は29位、宮平秀治(ミズノ)は31位、高野鉄平(利根商業高)は48位でした。

 ビショフスホーフェンのラージヒルは、インラン(助走路)の最大傾斜がワールドカップで使用されるシャンツェの中では最も緩やかな27度。 またインランのアール(傾斜が緩やかになる部分)からカンテ(踏切台)までの距離が他のシャンツェに比べて非常に長いという特徴があります。 そのため、身長が低く体重が軽い選手ほどアプローチのスピードが出にくく、サッツ(踏切動作)のタイミングを「待ちきれない」と感じることの多い難易度の高いシャンツェです。
 しかしそんな難易度の高さなど全く関係なく、ハンナヴァルトはここでも圧倒的な強さを見せました。 特に1stラウンドの139.0mは驚異的な飛距離です。 このままオリンピックもワールドカップも突っ走ってしまいそうな雰囲気が漂ってきました。

 ワールドカップはこの後舞台をドイツのヴィリンゲン移します。 1月12日にラージヒル団体戦、13日にラージヒル個人戦が予定されています。


■ワールドカップジャンプ ヴィリンゲン大会■2002年1月15日
 ジャンプ週間の興奮も冷めやらぬ中迎えたヴィリンゲン大会。 ジュリーディスタンスが143mという特大のラージヒルを使って個人戦と団体戦が行われました。

●1月12日 個人第14戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 優勝したのはスヴェン・ハンナヴァルト(GER)。 141.5mと148.0mの2本の大ジャンプでジャンプ週間から続いている連勝記録を「5」に伸ばしました。 2位はマッティ・ハウタマキ(FIN)、3位はヴェリ・マッティ・リンドストローム(FIN)でした。
 日本人選手は少しずつ調子を取り戻しつつある船木和喜(フィットスキー)が6位に入賞し、宮平秀治(ミズノ)は7位と健闘しました。 以下、葛西紀明(土屋ホーム)が15位、山田大起(北野建設)が25位、吉岡和也(デサント)が26位でした。

●1月13日 団体第2戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 絶好調のハンナヴァルトを擁するドイツチームが地元で実力を発揮できるかという点に注目が集まった団体戦。 優勝したのは4人全員が失敗のない素晴らしいジャンプを揃えたオーストリアでした。 2位はフィンランド、3位はドイツでした。 日本チームは葛西、山田、宮平、船木の4名で臨んで4位でした。

 このヴィリンゲン大会で注目したかったのは、オリンピックを一ヶ月後に控えたこの時期に各チームの主力選手がどの程度調整を進められているか、という点でした。 個人戦では相変わらずハンナヴァルトの好調さが目につきましたが、フィンランドのリンドストロームやアホネンらが少しずつ調子を上げてきているのが不気味です。 団体戦ではオーストリアがチーム力の高さを発揮して優勝、フィンランドやドイツも良い感じで「駒」が揃ってきています。 少数精鋭のオーストリア、層の厚さのフィンランドとドイツ、といったところでしょうか。
 日本チームは、ジャンプ週間で全く良いところがなかった船木がだいぶ調子を取り戻してきたようです。 また宮平も安定感が増してきており、表彰台を狙える大きなジャンプが増えてきました。 若い山田と共にオリンピックでの活躍が期待できそうです。 あとは葛西と原田が調子を取り戻すのを待つだけなのですが、葛西はヴィリンゲン大会で良い結果を残すことができませんでしたし、一足先に帰国している原田も葛西と似たような状況です。 日本ジャンプ陣の牽引車として活躍してきたベテラン二人の仕上がり具合が、オリンピックの結果を左右するのかもしれません。

 次のワールドカップは1月19日〜20日にポーランドのザコパネで行われます。


■1月11日〜14日の国内公式戦■2002年1月15日
 ヴィリンゲンでワールドカップが行われていたこの週末、国内ではコンチネンタルカップクラスの大きな試合が続きました。

●1月11日 第30回札幌オリンピック記念国際スキージャンプ競技大会(兼コンチネンタルカップ)
宮ノ森ジャンプ競技場 ノーマルヒルK90

 優勝は2本のK点越えジャンプを揃えた東輝(日本空調サービス)。 鋭いサッツに力強さが増してきました。 2位は渡瀬雄太(雪印乳業)、3位は伊東大貴(下川商業高)でした。

●1月12日 第29回HTBカップ国際スキージャンプ競技大会(兼コンチネンタルカップ)
大倉山ジャンプ競技場 ラージヒルK120

 優勝は1stラウンドに128.0mの最長不倒距離を飛んだフィンランドの若手、ヤンネ・ハッポネンでした。 2位は東輝(日本空調サービス)、3位は原田雅彦(雪印乳業)でした。

●1月13日 第41回STVカップ国際スキージャンプ競技大会(兼コンチネンタルカップ)
大倉山ジャンプ競技場 ラージヒルK120

 優勝はこの日もヤンネ・ハッポネン(FIN)。 2本ともK点を大きく越えて、追いすがる日本勢を振り切りました。 2位は岡部孝信(雪印乳業)、3位は2ndラウンドに141.0mのバッケンレコードを記録した原田雅彦(雪印乳業)でした。

●1月14日 第44回HBCカップジャンプ競技会
大倉山ジャンプ競技場 ラージヒルK120

 この日の優勝は2ndラウンドに139.5mを飛んだ岡部孝信(雪印乳業)。 2位は鈴木康哲(東洋実業グループ)、3位は東輝(日本空調サービス)でした。 前日のSTV杯でバッケンレコードを樹立した原田雅彦(雪印乳業)は4位に終わりました。


■ワールドカップジャンプ ザコパネ大会■2002年1月21日
 ワールドカップのヨーロッパシリーズはこのザコパネ大会がソルトレイクシティ冬季五輪直前の最後の試合となります。 日本チームはこの後白馬と札幌で行われるワールドカップに向けた調整のためにこの大会には出場していません。

●1月19日 個人第15戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 年末年始のジャンプ週間から数えて5連勝しているスヴェン・ハンナヴァルト(GER)が、ワールドカップ史上初の6連勝なるか、と注目された試合でした。 あいにく風の条件が不安定で各選手かなり苦しんだようで、ハンナヴァルトは結局優勝を逃して2位でした。 優勝したのはマッティ・ハウタマキ(FIN)。 ハンナヴァルトとのポイント差はわずか0.4点でした。 3位にはアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)が入りました。 地元ポーランドの英雄アダム・マリシュは7位に終わりました。

●1月20日 個人第16戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 約10万人の観客で盛り上がるザコパネの競技場。 この日は観客の期待に応え、ここ数試合不振が続いていたアダム・マリシュ(POL)が優勝しました。 2位はこの日もスヴェン・ハンナヴァルト(GER)。ポイント差はこれまたわずか0.6点の僅差でした。 3位は前日の勝者マッティ・ハウタマキ(FIN)でした。

 ドイツチームとフィンランドチームはこの試合を終えた後、日本のワールドカップには出場せずに自国でソルトレイクシティ冬季五輪に向けた調整に入るようです。 日本でのワールドカップは、1月24日に白馬でラージヒル個人戦(K120)、26日に札幌でラージヒル個人戦(K120)、27日に札幌でラージヒル団体戦(K120)が予定されています。


■ワールドカップジャンプ 白馬大会■2002年1月24日
 オリンピック直前の日本シリーズ。 有力選手の多くが欠場する中でも各選手の思惑は色々で、手抜きのない真剣勝負が繰り広げられます。 いつもは現地へ観戦しに行っている白馬大会ですが、今年は”本業”多忙のためTVでの観戦となってしまいました。 フォトレポートを楽しみにされていた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。

●1月24日 個人第17戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 優勝はワールドカップ総合成績で4位につけるアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)。 ただ一人だけ2本とも130mを越えるジャンプで他の選手を圧倒しました。 2位はマルティン・コッホ(AUT)とシュテファン・ホルンガッハ(AUT)が同着。 オーストリア勢、見事な表彰台独占です。

 日本人選手は地元長野県出身の山田大起(北野建設)が大健闘して4位に入賞。 風の条件に恵まれなかった宮平秀治(ミズノ)も良いジャンプを見せて5位に入賞しました。 以下、葛西紀明(土屋ホーム)がヴォルフガング・ロイツル(AUT)と同着の8位タイ、船木和喜(フィットスキー)が11位、東輝(日本空調サービス)が20位、岡部孝信(雪印乳業)が24位、渡瀬雄太(雪印乳業)が26位、岡村創太(雪印乳業)が28位、吉岡和也(デサント)が29位でした。

 この試合、オリンピックの代表である原田雅彦(雪印乳業)が31位と奮いませんでしたが、その他の代表選手は順当な仕上がりぶりを伺わせる内容のジャンプを見せていました。 特に山田は勢いあるジャンプでもう少しで表彰台というところまで迫り、オリンピックの大舞台でも何かやってくれるのでは、という期待を抱かせてくれます。 次のワールドカップは札幌で個人戦と団体戦を1試合ずつ。 アダム・マリシュ(POL)やスヴェン・ハンナヴァルト(GER)が出場しない試合で、少しでも多くのワールドカップポイントを稼いでほしいものです。


■ワールドカップジャンプ 札幌大会■2002年1月28日
 白馬での試合が終わってすぐに札幌へ移動、いよいよオリンピック前最後の試合です。 26日には個人戦、27日には団体戦が行われました。

●1月26日 個人第18戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 この試合は大倉山ジャンプ競技場で行われるワールドカップジャンプとしては初めてのナイトゲームでした。 優勝はアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)。 風の条件が良くなくても130m近くまで飛んでこれるのは、実力と調子の波がかみ合っている証拠です。 2位にはマルティン・コッホ(AUT)、3位には葛西紀明(土屋ホーム)が入りました。 葛西は昨年の1月、インスブルック大会以来の表彰台です。
 その他の日本勢は山田大起(北野建設)が7位、船木和喜(フィットスキー)が9位、原田雅彦(雪印乳業)が11位、宮平秀治(ミズノ)が18位、齋藤浩哉(雪印乳業)が18位、東輝(日本空調サービス)が19位、岡部孝信(雪印乳業)が20位でした。

●1月27日 団体第3戦 ラージヒルK120 [リザルト]
 ドイツやフィンランド、ポーランドの主力選手を欠いて迎えた団体戦、優勝したのはオーストリアでした。 2位は日本、3位はフィンランドでした。 日本チームは山田大起(北野建設)と葛西紀明(土屋ホーム)が健闘しましたが、失敗ジャンプの少ないオーストリアには及びませんでした。

 これでワールドカップは一時中断し、次はソルトレイクシティ冬季五輪を迎えるだけとなりました。 最初のスキージャンプ種目は2月9日のノーマルヒル予選です。


■国内公式戦(2月2日〜3日)■2002年2月3日
 ソルトレイクシティ冬季五輪代表選手を直前合宿で欠いた大会でしたが、国内残留組の今後を見据える上で重要な位置づけです。 五輪代表にもれて落胆している選手もいることでしょうが、五輪後の世界フライング選手権やワールドカップなど大きな大会に出場するチャンスはまだ残っているわけですから、各選手の心意気も真剣そのもの。 若手もベテランも精一杯のジャンプを見せていました。

●2月2日 札幌スキー連盟会長杯ジャンプ大会兼第14回UHB杯ジャンプ大会
大倉山ジャンプ競技場 ラージヒルK120

 今シーズン絶好調の東輝(日本空調サービス)が優勝しました。 2ndラウンドの135.5mは高く評価できる見事な内容です。 2位は齋藤浩哉(雪印乳業)、3位は岸本誉(土屋ホーム)でした。 少年組は樋口大二郎(小樽北照高)が優勝しました。

●2月3日 札幌スキー連盟会長杯ジャンプ大会兼第13回TVH杯ジャンプ大会
大倉山ジャンプ競技場 ラージヒルK120

 前日のUHB杯で苦汁をなめた岡部孝信(雪印乳業)が138.0mと137.5mの大ジャンプを揃えて圧勝しました。 2位は渡瀬雄太(雪印乳業)、3位は齋藤浩哉(雪印乳業)と、雪印勢が表彰台を独占しました。 少年組は安川友貴(札幌日大高)が優勝しました。

 この2試合で際だったのは、岡部の復調ぶりが本物であるということでしょう。 スキー板のレギュレーション変更やルール改正などへの対応が遅れ、一時は自身のジャンプを見失いかけた選手ですが、長野五輪の時のようなシャープなサッツ(踏切動作)と巧みな滑空技術を取り戻しつつあります。 精神面のしたたかさでは定評のある選手ですから、怪我さえしなければ現在の調子を維持することは難しくないはずです。 今後、海外遠征メンバーに復帰するのも時間の問題でしょう。 絶好調の東と並んで、今季後半戦の注目株だと思います。


■ソルトレイクシティ冬季五輪 ノーマルヒル個人■2002年2月14日更新
 いよいよソルトレイクシティ冬季五輪の開幕です。 スキージャンプの最初の種目はノーマルヒル個人戦。 ユタオリンピックパークの真新しいシャンツェを使って2月10日(現地時間)に行われました。

●2月10日 ノーマルヒル個人 K90 [リザルト]
 強風のため予選を延期して、当日のトライアルラウンドを予選に差し替えたノーマルヒル。 当日はほぼ無風の絶好の条件の中、競技が行われました。
 優勝はシモン・アマン(SUI)。 2本とも100mに届こうかという飛距離をマークして逃げ切りました。 昨年末のワールドカップからめきめきと頭角を現してきたスイスの若きエース、アマン。 2度目のオリンピック出場で見事な金メダルです。 2位はジャンプ週間全戦全勝のスヴェン・ハンナヴァルト(GER)、3位はワールドカップ個人総合成績トップのアダム・マリシュ(POL)でした。
 日本人選手は船木和喜(フィットスキー)の9位が最高。 原田雅彦(雪印乳業)は20位でした。 2ndラウンドに進めなかった山田大起(北野建設)は33位、葛西紀明(土屋ホーム)は1stラウンドで転倒してしまい49位に終わりました。

 前回の長野冬季五輪に続く2大会連続のノーマルヒルのメダルを狙った日本勢。 しかし今シーズンのワールドカップの内容がこの試合にもそのまま当てはまったような結果になってしまいました。 船木や原田は、体調は決して悪くはなかったはずですし、またこの試合に向けた調整が失敗に終わったわけではありません。 偏に、表彰台に上がった選手との力の差が歴然としていた、ということでしょう。 また、1stラウンドで転倒した葛西も心配です。 試合後のコメントでは怪我はなかったようですが、この後に続くラージヒルで精神的なダメージを引きずらないことを願いましょう。

 次はラージヒル個人(K120)。 現地時間2月12日に予選を行い、同13日に本選が行われます。


■ソルトレイクシティ冬季五輪 ラージヒル個人■2002年2月14日
 オリンピック前半の最大のイベントとなるラージヒル個人戦。 ノーマルヒルを制して意気上がるシモン・アマン(SUI)とジャンプ週間総合優勝者スヴェン・ハンナヴァルト(GER)、ワールドカップ総合成績1位のアダム・マリシュ(POL)の三つどもえに他の選手がどのように絡んでくるかが見所でした。

●2月13日 ラージヒル個人 K120 [リザルト]
 ノーマルヒルと同様に強い風はなく、良い条件の下で競技が行われました。 優勝したのはまたもやシモン・アマン(SUI)。 2本とも130mを越え、ランディングもきちっと決めて、後続を振り切りました。 2位はアダム・マリシュ(POL)、3位はマッティ・ハウタマキ(FIN)でした。 1stラウンドでアマンと同ポイントでトップに立っていたスヴェン・ハンナヴァルト(GER)は2ndラウンドで転倒して4位に終わりました。
 日本人選手は船木和喜(フィットスキー)が惜しくも6位入賞ならず、7位。 原田雅彦(雪印乳業)は20位、宮平秀治(ミズノ)は24位でした。 葛西紀明(土屋ホーム)は1stラウンドで気まぐれに吹き付ける追い風に泣かされ、2ndラウンドに進めず41位に終わりました。

 ジャンプ週間の総合優勝者はその年のオリンピックでも金メダルをとるケースが多いと言われてきましたが、今年はジャンプ週間全戦全勝という偉業を成し遂げて絶好調のハンナヴァルトでさえ、アマンの勢いにはかないませんでした。 マリシュにも似た素早く強いサッツと無駄のない滑空動作は日本人選手も見習う部分が多いでしょう。 ランディングも上手で飛型点も高く、今後のワールドカップでもマリシュと激しいつばぜり合いを見せてくれるでしょう。

 日本勢は、ジャンプの内容は決して悪くないものの、底力でヨーロッパ勢に水をあけられています。 同じような条件で同じような「会心のジャンプ」をしても、飛距離が5mも違えば勝つことはできません。 ヨーロッパ勢との違いがどこにあるのか、おそらく飛んでいる選手自身はわかりすぎるくらいわかっているでしょうから、今後の試合に向けての取り組みに注目していきたいと思います。

 オリンピックのスキージャンプ最後の種目は、現地時間18日に予定されているラージヒル団体戦。 日本チームもまだまだメダルが狙える位置にいますから、早く気持ちを切り替えて、大きなジャンプを見せてほしいものです。


■ソルトレイクシティ冬季五輪 ラージヒル団体■2002年2月19日
 オリンピックの純ジャンプ最後の種目はラージヒル団体戦です。 世界の勢力地図は変わったとはいえ、日本チームの総合力の高さはメダル圏内を狙える位置にあることは間違いありません。 2大会連続の日本チームメダルなるか、注目が集まりました。

●2月18日 ラージヒル団体 K120 [リザルト]
 この試合、日本チームは 原田雅彦(雪印乳業)/山田大起(北野建設)/宮平秀治(ミズノ)/船木和喜(フィットスキー) のメンバーで臨みました。 ほぼ無風の好条件で競技が行われ、息詰まるような緊迫したトップ争いの末、ドイツが僅差で逃げ切って優勝しました。 2位はフィランド、3位はスロヴェニアでした。 日本チームは山田が1stラウンドで失敗した他は良いジャンプを揃えましたが、4位のオーストリアにわずか0.8ポイント届かず5位に終わりました。

 これでオリンピックのスキージャンプ競技は全て終了しました。 前回の長野冬季五輪と比べると日本勢の成績は寂しいものになってしまいましたが、今シーズンの流れと選手達の調子を考えると各選手とも今持てる力を出し切ったと思います。 この結果は日本チームの現状そのままですから、今後の糧になるようにコーチも選手も教訓を生かしていってほしいものです。

 スキージャンプは2月いっぱいはワールドカップはお休み。 3月からノルディックトーナメントを兼ねたワールドカップがフィンランドのラハティ大会から再開されます。 また世界フライング選手権もありますから、オリンピックに出場した選手も出場できなかった選手も、まだまだ気が抜けません。


■ワールドカップジャンプ ラハティ大会■2002年3月4日
 オリンピック終了後の最初のワールドカップはフィンランドのラハティで行われました。 毎年3月は「北欧ノルディックトーナメント」というツアーを組んでフィンランド、スウェーデン、ノルウェーを転戦しますが、今年はこのラハティ大会がその緒戦となります。

●3月1日 個人第19戦 ラージヒルK116 [リザルト]
 優勝したのはオリンピックのラージヒルあたりから調子が良くなってきたマルティン・シュミット(GER)。 風の条件が厳しいラハティの台で、2本ともジュリーディスタンスに迫る125m越えのジャンプを見せて逃げ切りました。 2位はアダム・マリシュ(POL)、3位はロベルト・クランエツ(SLO)でした。 オリンピックでラージヒルとノーマルヒルを両方制したシモン・アマン(SUI)は予選でも好調でしたが、本戦では飛距離が伸びず6位に終わりました。 オリンピックのラージヒルで転倒したスヴェン・ハンナヴァルト(GER)は怪我で欠場しています。
 日本人選手は船木和喜(フィットスキー)の12位が最高。 東輝(日本空調サービス)は23位、山田大起(北野建設)は29位でした。 宮平秀治(ミズノ)は2ndラウンドに進めず48位に終わりました。

●3月2日 団体第4戦 ラージヒルK116 [リザルト]
 オリンピックと同じメンバーで臨んだフィンランドが優勝。 2位はスロヴェニア、3位はドイツでした。 日本チームは前日の個人戦と同じメンバーで臨みましたが、ラハティの台に慣れていない山田が飛距離を伸ばせず、また経験のある東、宮平、船木も山田の失敗をカバーしきれずに、6位に終わりました。

 オリンピック終了から約2週間。 日本チームは遠征メンバーを一部入れ替えました。 若い山田大起にワールドカップでの経験を多く積ませよう、というオーダーです。 結果的にはオリンピックと同じような重苦しい雰囲気を払拭できず、無惨な結果に終わってしまいました。 経験不足の山田を責めるのはお門違いとしても、その他のベテラン勢が彼の失敗をカバーできないところに今の日本チームの力不足がうかがえます。
 次週はチェコのハラホフで世界フライング選手権が行われます。 K点185m、非常に強い風が吹く「世界で一番恐怖感を強く感じるシャンツェ」で二日間の競技の総合成績を競います。 フライングヒルが得意な東輝や船木和喜に期待するとともに、おそらくスキーフライングは初めてだと思われる山田大起のジャンプも注目したいと思います。


■国内公式戦(3月2日〜3日)■2002年3月4日
 2日から3日にかけて、全日本スキー選手権のスペシャルジャンプ種目が札幌で行われました。 今ひとつ調子の波に乗りきれないワールドカップ遠征組を下支えする立場の国内残留組。 優勝すれば「日本一」という名誉もつくとあって、ウェイトの大きな大会です。

●3月2日 第79回全日本スキー選手権大会兼第43回NHK杯ジャンプ大会
大倉山ジャンプ競技場 ラージヒルK120

 NHK杯と兼ねて行われたこの大会、雪がちらつくコンディションの下、岡部孝信(雪印乳業)が131.0mと126.0mの安定したジャンプを見せて優勝しました。 1stラウンド3位からの逆転です。 2位は1stラウンドでこの日の最長不倒距離135.5mを飛んだ吉岡和也(デサント)、3位は柴田康宏(東京美装)でした。 1stラウンドでトップに立った原田雅彦(雪印乳業)は2ndラウンドで失敗して4位に終わりました。

●3月3日 第79回全日本スキー選手権大会
宮ノ森ジャンプ競技場 ノーマルヒルK90

 岡部孝信(雪印乳業)の安定した力はこの日も健在。 2ndラウンドでは93.5mの最長不倒距離を飛んで、ラージヒルに引き続きノーマルヒルも制しました。 2位は斎藤浩哉(雪印乳業)、3位は上野真吾(NTT東日本北海道)でした。 また女子の部では、山田いずみ(北海道浅井学園大職員)が2ndラウンドで86.5mの最長不倒をマークして貫禄の優勝を飾りました。


■雪印スキー部、複合部門は廃止へ。純ジャンプ部門は存続■2002年3月4日
 2000年9月の集団食中毒事件以来グループ内の度重なる不祥事で経営状態が著しく悪化していた雪印乳業(株)。 同社は2日、スキー部のノルディック複合部門を3月末で廃止することを明らかにしました。 複合部門に在籍しているのは富井彦選手と正木啓三コーチの二人。 ソルトレイクシティ冬季五輪に参加していた二人が帰国した後に、その方針を伝えたとのことです。 シーズン終了後の二人の去就については明らかにされていません。 また原田雅彦や岡部孝信らスター選手を多く抱える純ジャンプ部門(選手9名と監督・コーチ各1名ずつが在籍)は、そのまま存続することが決定した模様です。


■世界スキーフライング選手権■2002年3月12日
 2年に一度行われる世界スキーフライング選手権。 今シーズンはハラホフ(チェコ)のフライングヒルで行われました。 K点185m、風が強く世界で一番恐怖感を感じる台として選手達の間で有名なシャンツェです。 競技は二日間の総合成績を競います。

 ところが‥‥「そういえば1992年のハラホフの世界フライング選手権(葛西紀明が優勝したとき)は確か風が強くて二日目の競技は中止されたな」なんて考えていたら、案の定今年も風が強くなり、二日目の競技は中止が決定。 一日目だけの結果で総合成績が確定しました。

●3月9日〜10日 ハラホフ(チェコ) フライングヒルK185 [リザルト]
 優勝したのはスヴェン・ハンナヴァルト(GER)。 一日目202.0mのジャンプを2本揃え、抜群の安定感でトップに立ったまま、総合優勝を決めました。 2位はマルティン・シュミット(GER)、3位はマッティ・ハウタマキ(FIN)でした。 オリンピックの金メダリスト、シモン・アマン(SUI)は6位、ワールドカップ個人総合トップのアダム・マリシュ(POL)は18位でした。
 日本人選手は船木和喜(フィットスキー)が23位だったのが最高。 他には東輝(日本空調サービス)と宮平秀治(ミズノ)が出場しましたが、東が41位、宮平が45位と奮わず、この二人は2ndラウンドに進むことができませんでした。


■宮様スキー大会(3月9日〜10日)■2002年3月14日
 国内で行われる公式戦もいよいよ今シーズンの終盤戦。 9日から10日にかけて、札幌で宮様スキー大会の純ジャンプ競技が行われました。

●3月9日 第73回宮様スキー大会国際競技会
宮ノ森ジャンプ競技場 ノーマルヒルK90

 宮ノ森で行われたノーマルヒル。 成年の部で優勝したのは伏兵 斉藤慎一郎(東京美装)でした。 2ndラウンドで89.5mを飛び、1stラウンド11位からの大逆転です。 2位は竹本和也(アインズ)、3位は岸本誉(土屋ホーム)でした。 また、少年の部は渡辺俊介(白馬高)が、壮年の部では森沢茂紀(岩手放送)がそれぞれ制しました。

●3月10日 第73回宮様スキー大会国際競技会
大倉山ジャンプ競技場 ラージヒルK120

 大倉山で行われたラージヒル、成年の部の優勝は岡部孝信(雪印乳業)でした 1stラウンド129.5m、2ndラウンドは130.0mと安定感抜群の岡部、これで今季5勝目です。 2位は吉岡和也(デサント)、3位はフランク・レフラー(GER)でした。 少年の部はバルターサー・シュナイダー(AUT)が優勝。 成年の部と合わせても2位に入る高いポイントでした。


■ワールドカップジャンプ ファルン大会■2002年3月14日
 ノルディックトーナメントの2戦目のファルン大会、ここ数年は地元スウェーデン勢が全く奮わない状況が続いていますが、試合の盛り上がりが衰えないところは流石ノルディックスキーの本場です。

●3月13日 ファルン(スウェーデン) ラージヒルK115 [リザルト]
 優勝はマッティ・ハウタマキ(FIN)。 1stラウンドではこの試合の最長不倒距離となる130.5mを飛び、今シーズン2勝目をあげました。 2位はマルティン・シュミット(GER)、3位はスヴェン・ハンナヴァルト(GER)とヤンネ・アホネン(FIN)が同着で並びました。
 日本人選手は船木和喜(フィットスキー)が1stラウンドの失敗ジャンプが響いて巻き返しならず10位。 以下、葛西紀明(土屋ホーム)が22位、宮平秀治(ミズノ)が25位でした。 42位の渡瀬雄太(雪印乳業)と48位の伊東大貴(下川商業高)は2ndラウンドに進めず。 東輝(日本空調サービス)、原田雅彦(雪印乳業)、山田大起(北野建設)の3名は予選を通過することができませんでした。

 この次のワールドカップはノルディックトーナメントの第3戦。 3月15日にノルウェーのトロンハイムでラージヒル個人戦(K120)が行われます。


■ワールドカップジャンプ トロンハイム大会■2002年3月16日
 ノルディックトーナメントの第3戦はノルウェーのトロンハイムでラージヒル個人戦(K120)。 1997年のノルディックスキー世界選手権の会場となったグラノーセンのシャンツェを使って行われました。

●3月15日 トロンハイム(ノルウェー) ラージヒルK120 [リザルト]
 優勝したのはファルン戦に続いてマッティ・ハウタマキ(FIN)。 1stラウンドは134.5mの最長不倒距離、2ndラウンドも130mを越える飛距離を飛んで逃げ切りました。 ハウタマキ、今シーズン3勝目です。 2位はアダム・マリシュ(POL)、3位はスヴェン・ハンナヴァルト(GER)でした。
 日本人選手は船木和喜(フィットスキー)が13位、東輝(日本空調サービス)が24位、葛西紀明(土屋ホーム)が25位と、全般的に振るいませんでした。 また宮平秀治(ミズノ)は34位、山田大起(北野建設)は36位、原田雅彦(雪印乳業)は39位と、この3名は2ndラウンドに進むことができませんでした。 伊東大貴(下川商業高)と渡瀬雄太(雪印乳業)は予選落ちです。

 この試合でもハウタマキの抜群の安定感が光りました。 前半戦ではマリシュに、中盤戦ではハンナヴァルトに、優勝を奪われてなかなか表彰台の一番高いところに上がることができなかった彼ですが、ここへ来てその借りを返すかのような強さを見せています。 ワールドカップも残すところあと3試合(うち個人戦2試合)。 各選手、ラストスパートに入ってどのようなジャンプを見せてくれるのか、期待は膨らみます。

 次のワールドカップジャンプは17日にノルウェーのオスロで行われるホルメンコーレン大会。 世界で一番歴史の古い国際大会です。 北欧ノルディックトーナメントも次が最終戦、日本人選手の巻き返しにも期待しましょう。


■ワールドカップジャンプ オスロ大会■2002年3月18日
 ノルディックトーナメント最終戦を兼ねたワールドカップ個人第22戦は、ノルウェーの首都オスロの郊外で行われるホルメンコーレン国際ジャンプ大会。 K点115mのシャンツェはラージヒルとしては小振りですが、独特の風が舞う条件と10万人に達そうかという観客の熱気で、競技の盛り上がりは相当なものがあるといいます。 地元ノルウェー勢が元気無いのが気にかかりますが、シーズンの締めくくりに相応しい重みのある大会です。

●3月17日 オスロ(ノルウェー) ラージヒルK115 [リザルト]
 優勝はシモン・アマン(SUI)。 1stラウンドにこの日の最長不倒距離となる128.5mを飛んで逃げ切りました。 アマン自身これがワールドカップ初優勝となります。 2位はスヴェン・ハンナヴァルト(GER)、3位はアダム・マリシュ(POL)でした。 マッティ・ハウタマキ(FIN)は8位に終わりました。
 日本人選手では、このところ調子が良くなかった宮平秀治(ミズノ)が健闘して9位に食い込みました。 船木和喜(フィットスキー)は20位、葛西紀明(土屋ホーム)は28位でした。 33位の伊東大貴(下川商業高)と34位の山田大起(北野建設)、48位の東輝(日本空調サービス)は2ndラウンドに進むことができませんでした。

 ノルディックトーナメントはこの試合が最終戦。 総合成績ではマッティ・ハウタマキ(FIN)が優勝、2位がアダム・マリシュ(POL)、3位はマルティン・シュミット(GER)でした。 日本人選手は船木和喜(フィットスキー)の10位が最高でした。

 これで今シーズンのワールドカップは次週スロヴェニアのプラニツァで行われるフライングヒル2連戦を残すのみとなりました。 23日には個人戦、24日には団体戦が行われます。


■ワールドカップジャンプ プラニツァ大会■2002年3月25日
 今シーズン最後のワールドカップとなるプラニツァ大会。 K点が185m、バッケンレコードが225.0mという世界最大のシャンツェで団体戦と個人戦が1試合ずつ行われました。

●3月23日 団体第5戦 フライングヒルK185 [リザルト]
 優勝したのはフィンランド。 マッティ・ハウタマキ/ヴェリ・マッティ・リンドストローム/リスト・ユシライネン/ヤンネ・アホネン のメンバーで安定したジャンプを8本揃えて有終の美を飾りました。 M.ハウタマキの1stラウンドのジャンプはバッケンレコードに迫る224.5m。 これがこの日の最長不倒距離でした。 2位はドイツ、3位はオーストリアでした。
 日本は 宮平秀治/原田雅彦/葛西紀明/船木和喜 のメンバーで臨み、4位でした。 今シーズンの流れを考えると順当な成績だったといえます。 宮平は2本とも良いジャンプを見せ、1stラウンドでは日本人のフライングヒル飛距離記録の歴代2位に相当する213.5mを飛び、今シーズン最後の最後で意地を見せました。

●3月24日 個人第23戦 フライングヒルK185 [リザルト]
 プラニツァ大会の最後は個人戦。 予選までは順調に試合が行われましたが、本戦はキャンセルとなり、そのまま中止されてしまいました。 このためワールドカップの個人総合成績は、前週のオスロ大会終了後のポイントがそのまま最終成績となりました。

 ここ数年は毎回ワールドカップの最終戦が行われているプラニツァ。 K点として設定されている飛距離よりもはるかに長いランディングバーンを持つシャンツェなので、豪快なジャンプが続出することで人気があります。 23日の団体戦はワールドカップ後半戦の内容を象徴するような結果でした。 フィンランドが選手全体の安定感の差でドイツをかわしたという感じです。 24日の個人戦は残念ながら中止。 予選は朝8時30分(現地時間)から始められ順調に進みましたが、本戦が始まる昼前はプラニツァの風が強くなる時間帯にあたるため、おそらく強風のために競技は中止されたものと思われます。

 ワールドカップの総合成績は後日こちらのコーナーに掲載します。


■2001−2002 FISワールドカップスキージャンプ 最終成績■2002年4月2日
 2001−2002ワールドカップジャンプの個人総合成績です。
     1.Adam Malysz(POL)        1475
     2.Sven Hannawald(GER)     1259
     3.Matti Hautamaeki(FIN)   1048
     4.Andreas Widhoelzl(AUT)   874
     5.Martin Schmitt(GER)      795
     6.Martin Hoellwarth(AUT)   737
     7.Simon Ammann(SUI)        628
     8.Martin Koch(AUT)         561
     9.Stephan Hocke(GER)       508
    10.Risto Jussilainen(FIN)   474
    11.船木和喜(フィットスキー) 460
    12.Stefan Horngacher(AUT)   434
    13.Andreas Goldberger(AUT)  419
    14.Peter Zonta(SLO)         364
    15.Janne Ahonen(FIN)        356
    18.宮平秀治(ミズノ)         279
    23.葛西紀明(チームマイカル) 219
    24.山田大起(北野建設)       194
    38.原田雅彦(雪印乳業)        97
    51.吉岡和也(デサント)        45
    53.東輝(日本空調サービス)    38
    59.岡部孝信(雪印乳業)        18
    63.齋藤浩哉(雪印乳業)        13
    77.渡瀬雄太(雪印乳業)         5
    85.岡村創太(雪印乳業)         3
2001−2002ワールドカップジャンプの国別成績(ネイションズカップ)です。
     1.Germany         4812
     2.Austria         4761
     3.Finland         4691
     4.Japan           2721
     5.Slovenia        2188
     6.Poland          2105
     7.Norway           897
     8.Switzerland      779
     9.Russia           533
    10.France           378
    11.United States    318
    12.Italy            299
    13.Czech Republic   265
    14.Kazakhstan        56
    15.Korea             55
    16.The Netherlands   11
    17.Sweden             9


■国内公式戦(3月13日〜29日)■2002年4月2日
 国内で行われる公式戦も3月いっぱいで全ての日程を終了しました。 3月中旬以降の主な公式戦の結果です。

●3月13日 第14回国際蔵王ジャンプ大会山形市長杯兼FISコンチネンタルカップジャンプ大会2002
蔵王ジャンプ台 ノーマルヒルK90

 優勝はバルタサル・シュナイダー(AUT)。 2ndラウンドで94.5mを飛んで1stラウンドの10位から逆転しました。 2位は樋口大二郎(北照高)、3位は岸本誉(土屋ホーム)でした。

●3月14日 第14回国際蔵王ジャンプ大会NHK杯兼FISコンチネンタルカップジャンプ大会2002
蔵王ジャンプ台 ノーマルヒルK90

 優勝はダミヤン・イエルネイ(SLO)。 1stラウンドで92.5mを飛んでトップに立ち、そのまま逃げ切りました。 2位は岸本誉(土屋ホーム)、3位はバルタサル・シュナイダー(AUT)でした。

●3月17日 第36回雪印杯全日本ジャンプ旭川大会
嵐山ジャンプ競技場 ノーマルヒルK76

 成年の部は岡部孝信(雪印乳業)がただ一人2本ともK点を越えるジャンプで優勝しました。 2位は岡村創太(雪印乳業)、3位は一戸剛(アインズ)でした。 少年の部は讃良貴志(北照高)が、女子の部は金井理恵子(大東文化大)が、中学の部は澤谷悠造(余市ジャンプ少年団)が、それぞれ優勝しました。

●3月23日 第26回伊藤杯宮の森ナイタージャンプ大会
宮ノ森ジャンプ競技場 ノーマルヒルK90

 この日の優勝はまたもや岡部孝信(雪印乳業)。 88.5mと89.5mを飛んで2本ともトップのポイントで逃げ切りました。 2位は1stラウンドで岡部と並んでトップだった吉岡和也(デサント)、3位は岸本誉(土屋ホーム)でした。

●3月29日 第3回伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会
大倉山ジャンプ競技場 ラージヒルK120

 シーズンの最後を飾る大倉山の伊藤杯ナイタージャンプもすっかり定着したようです。 優勝はワールドカップ終盤で復調してプラニツァのフライングで活躍した宮平秀治(ミズノ)。 124.0mのK点越えジャンプを2本揃えて逃げ切りました。 2位は船木和喜(フィットスキー)。伊藤杯大倉山ナイタージャンプは2連勝している船木でしたが、今シーズンは優勝はなりませんでした。 3位は原田雅彦(雪印乳業)、4位は葛西紀明(土屋ホーム)と、上位をワールドカップ遠征組が独占しました。

 3月29日の伊藤杯大倉山ナイタージャンプ大会の後、今シーズン限りで引退を表明している選手のラストフライトが行われました。 吹田幸隆(雪印乳業)、吉田拓(札幌ジャンプクラブ)、鶴巻信哉(NTT東日本北海道)、平野俊郎(北照高)の4名が競技の第一線を退きます。 皆様お疲れ様でした。

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