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1998−1999 Ski Jumping トピックス




■地崎工業スキー部廃部■
 新聞によると、葛西紀明・仲村友和が所属し過去には天才ジャンパー秋元正博を輩出した名門地崎工業が、この3月でスキー部を廃部しました。 葛西・仲村(友)両選手と監督の古田修一氏は5月1日付で地崎工業からマイカル(本社・大阪市)へ移籍しました。
 地崎工業は北海道拓殖銀行をメインバンクとしていましたが、拓銀の経営破綻に伴い経営危機が表面化、今回のリストラとなったということです。 ひとまず、選手達は競技を続けられそうなので一安心ですが、オールドファンとしては拓銀に引き続き地崎工業までもスキー部を廃部したことが残念でなりません。 時代は変わってゆくと言うことでしょうか。


■2003年ノルディックスキー世界選手権開催地決定■
 2年おきに開催されるノルディックスキー世界選手権の2003年の開催地が、5月21日に開かれた国際スキー連盟理事会で決定しました。 札幌も開催地に立候補していましたが落選し、開催地にはイタリアのバルディフィエメが選ばれました。 バルディフィエメでの世界選手権は1991年以来12年ぶりとなります。
 1991年のバルディフィエメの世界選手権では東和広(日本空調サービス)が大活躍したことが思い出されます。 ラージヒル、ノーマルヒル共に1回目を終了した時点でトップに立ち、ラージヒルでは10位、ノーマルヒルでは5位に入賞しました。 当時まだV字ジャンプはほとんど広まっておらず、日本チームはいわゆる『冬の時代』でした。 世界の大舞台で優勝するなど夢のまた夢というこの時期にあって、東(和)のこの成績は「日本人でもやれるんだ」と思わせる素晴らしいものでした。 2003年は一体誰がヒーローになるのでしょうか。 注目したいと思います。


■ノルディック複合の荻原次晴 引退■
 6月28日、ノルディック複合競技の世界的英雄荻原健司(北野建設)の双子の弟荻原次晴(北野建設)が競技生活から引退することが明らかになりました。 兄健司の驚異的な強さの陰に隠れがちの次晴でしたが、ワールドカップでは総合2位に2回輝き、間違いなく日本複合陣の核となる存在でした。 今後は北野建設に籍を置いたまま、兄健司のサポート役をするとのことです。


■1998年サマージャンプシーズン開幕!■
 1998年のサマージャンプシーズンの開幕を告げる名寄ピヤシリサマー大会が、6月28日北海道名寄市のピヤシリシャンツェでミディアムヒル(K65)を使って行われました。 スキーのレギュレーションのルール改正後初めての国内大会で、岡部孝信(雪印)など一部の選手が欠場しました。
 競技は、1回目に68.5mを飛び出場選手中最高の飛型点をマークした原田雅彦(雪印)が、2回目も63mと圧倒的な強さを見せて優勝。 2位には1回目に70mの最長不倒距離をマークした西方仁也(雪印)が入り、以下宮平(ミズノ)、片山(北海道東海大)、毛利(北海道東海大)と続き、長野オリンピック代表の葛西紀明(マイカル)は8位、斎藤浩哉(雪印)は12位でした。
 長野オリンピックラージヒル金メダリストの船木和喜(デサント)は欠場しました。昨シーズンも船木は八木コーチの指導方針でミディアムヒルは飛びませんでしたが、今年もその方針に変わりはないようです。


■1998年FISサマージャンプグランプリ 日程決定■
 夏でも飛べるプラスチックシャンツェを利用したFISサマージャンプグランプリの今シーズンの日程が決定しました。

サマーグランプリ
   1998.08.09 シュタムス(AUT) K105
   1998.08.11 プレダッツォ(ITA) K120
   1998.08.14 クーシュヴェル(FRA) K120
   1998.08.16 ヒンターツァルテン(GER) K90

アジアングランプリ
   1998.09.12 白馬(JPN) K120 個人
   1998.09.13 白馬(JPN) K120 個人
   1998.09.15 白馬(JPN) K120 団体

 サマージャンプグランプリの総合成績は冬のワールドカップにも大きく影響します。 ヨーロッパのサマーグランプリでは、1994年に岡部孝信(雪印)が、1997年には原田雅彦(雪印)が、それぞれ総合優勝を遂げています。
 今シーズンはスキー板のレギュレーションが変更になったことで、身長の高い選手にどれだけ有利に働くのか、という点に注目しましょう。 特にクリスチャン・ブレンデン(NOR)ら190cm前後の身長の選手は、新しいスキー板でどこまで成績を伸ばしてくるのでしょうか。 日本人選手についてはサマージャンプ国内戦では昨シーズンと同様絶好調ですから、スキー板のレギュレーション変更は大きな影響にはなっていないと思いますが。


■1998〜1999年FISワールドカップスキー ジャンプ 日程決定■99/03/30改訂
 1998〜1999年のFISワールドカップスキージャンプの日程が決定しました。

   1998.11.28 リレハンメル(NOR) K120
   1998.11.29 リレハンメル(NOR) K120
   1998.12.05 シャモニー(FRA) K95
   1998.12.06 シャモニー(FRA) K95
   1998.12.09 プレダッツォ(ITA) K120
   1998.12.12 オーベルホフ(GER) K120
   1998.12.13 オーベルホフ(GER) K120
   1998.12.19 リベレツ(CZE) K120
   1998.12.20 ハラホフ(CZE) K120
   1998.12.30 オーベルシュトドルフ(GER) K115
   1999.01.01 ガルミッシュ・パルテンキルヘン(GER) K115
   1999.01.03 インスブルック(AUT) K110
   1999.01.06 ビショフスホーフェン(AUT) K120
   1999.01.09 エンゲルベルク(SUI) K120
   1999.01.10 エンゲルベルク(SUI) K120
   1999.01.16 ザコパネ(POL) K116
   1999.01.17 ザコパネ(POL) K116
   1999.01.23 札幌(JPN) K120
   1999.01.24 札幌(JPN) K120
   1999.01.29 ヴィリンゲン(GER) K120
   1999.01.30 ヴィリンゲン(GER) K120(団体)
   1999.01.31 ヴィリンゲン(GER) K120
   1999.02.06 ハラホフ(CZE) K120
   1999.02.07 ハラホフ(CZE) K120

 1999年ノルディックスキー世界選手権
   1999.02.21 ビショフスホーフェン(AUT) K120
   1999.02.23 ビショフスホーフェン(AUT) K120(団体)
   1999.02.26 ラムソー(AUT) K90

   1999.03.04 クーピオ(FIN) K120
   1999.03.06 ラハティ(FIN) K116
   1999.03.07 ラハティ(FIN) K116
   1999.03.09 トロンハイム(NOR) K120
   1999.03.11 ファルン(SWE) K115
   1999.03.14 オスロ(ホルメンコーレン)(NOR) K112
   1999.03.19 プラニツァ(SLO) K185
   1999.03.20 プラニツァ(SLO) K185
   1999.03.21 プラニツァ(SLO) K185



■岡部、原田を打ち崩す!?■
 7月7日、札幌で行われたプロ野球 巨人−広島 戦の始球式で、原田雅彦(雪印)が投手、岡部孝信(雪印)が打者として登場しました。 始球式で投手と打者両方がゲストというのも珍しいですが、もっと驚いたのは原田が投げた球を岡部が打ち返してライトに運んでしまったこと。 「いいスライダーが来たので打った」とは、さすが元野球少年!・・・おいおい、始球式やで。そういう問題か(笑)? ちなみにゲームの方は、5−10で広島が勝ちました。


■原田強い!ノーマルヒル2連勝■
 サマージャンプシーズンも本番、8月1日にはUHB杯サマージャンプ大会が、同2日には札幌市長杯サマージャンプ大会が、ともに札幌市の宮の森シャンツェのノーマルヒルを使って行われました。
 1日のUHB杯は原田雅彦(雪印)が2本目に94.0mを記録し、211.0点で優勝しました。 2位には佐藤昌幸(NTT北海道)が食い込み、3位にはスキー板の長さが身長比で大幅に短くなって対応が心配された岡部孝信(雪印)が入りました。
 2日の札幌市長杯でも原田が圧倒的な強さを見せます。 1回目に92.5mの最長不倒を飛んだ原田は2回目にも84.0mを記録し、228.5点で圧勝しました。 2位には好調の岡部が、3位には太田泰彦(明大)が入賞しました。 去年のサマーシーズンに続き、原田の絶好調が特に目立ちます。


■1998年サマーグランプリ開幕■
 サマージャンプシーズン最大のイベント、ヨーロッパでのサマーグランプリが8月9日にシュタムス(AUT)で開幕しました。 初戦はK=105のラージヒルで行われ、原田雅彦(雪印)が112.0mと110.5mの安定した飛行を見せて逆転優勝しました。 2位には1回目1位のマルティン・シュミット(GER)、3位には船木和喜(デサント)が入りました。 日本の各選手の順位は、葛西紀明(マイカル)が10位、宮平秀治(ミズノ)が14位。岡部孝信(雪印)が23位でした。


■原田、サマーグランプリ連勝■
 サマーグランプリの第2戦は、現地時間8月11日にプレダッツォ(ITA)で、K=120のラージヒルで行われました。 競技はただ一人2本ともK点を越える120.5mをマークした原田雅彦(雪印)が圧勝。 9日のシュタムス戦に続く優勝で、サマーグランプリ通算7勝目となりました。 2位にはヤンネ・アホネン(FIN)、3位にはニコラ・デッスム(FRA)が入りました。 日本人選手の成績は、船木和喜(デサント)7位、岡部孝信(雪印)9位、宮平秀治(ミズノ)10位、佐藤昌幸(NTT北海道)26位、葛西紀明(マイカル)28位 となりました。


■原田、3連勝ならず■
 サマーグランプリの第3戦は、8月14日にアルベールビルオリンピックの舞台となったクーシュヴェル(FRA)で、K=120のラージヒルで行われました。 原田雅彦(雪印)に3連勝の期待がかかりましたが、1回目の飛距離が伸びずに結局6位に終わりました。 優勝は地元フランスのニコラ・デッスム。1回目に127.5mの最長不倒距離を記録すると、2回目も123.0mと無難にまとめました。 3位はヤンネ・アホネン(FIN)、4位には船木和喜(デサント)が入りました。


■原田、サマーグランプリ3勝目■
 サマーグランプリ最終戦となる第4戦は、8月16日にヒンターツァルテン(GER)で、K=90のノーマルヒルで行われました。 ノーマルヒルには絶対の強さを発揮する原田雅彦(雪印)が、94.0mと96.0m(最長不倒距離)をマークして圧勝、総合成績トップでサマーグランプリを終えました。 2位には好調ヤンネ・アホネン(FIN)、3位にはハンス・ヨルグ・ヤックレ(GER)とアレキサンデル・ヘル(GER)が入りました。 日本人選手は9位に葛西紀明(マイカル)、11位に船木和喜(デサント)が入り、1本目を終えた時点で4位だった宮平秀治(ミズノ)は2本目に失敗して19位に終わりました。
 FISサマージャンプシリーズでも、冬のワールドカップと同様に総合ポイントを争いますが、今シーズンはこの時点で原田がトップ。 昨シーズンに続く総合優勝の期待がかかります。 9月12日と同13日の白馬でのラージヒル個人戦2試合が終了した時点で、個人の総合成績が確定します。


■1998年FISアジアングランプリ開催迫る■
 8月9日から16日にかけてヨーロッパ各地で行われたFISサマーグランプリに続き、FISアジアングランプリが9月12日から15日まで白馬ジャンプ競技場で行われます。 サマーグランプリでは原田雅彦(雪印)が4戦中3勝をあげて、総合成績トップ、以下2位にヤンネ・アホネン(FIN)、3位にニコラ・デッスム(FRA)、4位マルティン・シュミット(GER)、5位船木和喜(デサント)と続いています。
 今回のアジアングランプリは、スキージャンプが日本でヨーロッパ並の観客を集められるかどうか、長野五輪後の日本のジャンプ市場を見極めるFISのテストケースでもあるらしく、様々な思惑の絡んだ大会になるでしょう。
 以下、日程を記しておきます。

   9月12日(土) 個人戦ラージヒル K120
   9月13日(日) 個人戦ラージヒル K120
   9月15日(火) 団体戦ラージヒル K120

 この3連戦のうち個人戦2戦の結果で、今シーズンのサマージャンプ総合成績が決定します。 総合優勝最有力候補原田をはじめ、船木、宮平秀治(ミズノ)、葛西紀明(マイカル)、岡部孝信(雪印)ら、日本勢がどこまで成績を伸ばすことができるのか、 アホネン、デッスムら外国勢が風の条件の難しい白馬の台でどこまで原田を追い上げられるかが、見所となるでしょう。
 ちなみに、私は15日の団体戦を観戦しに白馬に乗り込みます(笑)。


■1998年FISアジアングランプリ個人戦ラージヒル K120■
 サマージャンプシリーズの第5戦となる個人第1戦は、9月12日に行われました。 競技は1回目に124.5mを飛んでトップに付けた船木和喜(デサント)が2回目に129.5mを飛び優勝。 2位は2回目に船木と同じ129.5mを飛んで追い上げるもわずか0.2点差で及ばなかった原田雅彦(雪印)。 3位にマルティン・シュミット(GER)、4位には1回目2位だった葛西紀明(マイカル)が入りました。 この日原田は2位に入ったことで、史上初2年連続のFISサマーグランプリ総合優勝を決めました。
 個人第2戦は翌9月13日に行われました。 1回目は船木和喜(デサント)が127.0mを飛んでトップに立ち、2位には120.5mの原田雅彦(雪印)がつけました。 2回目は各選手が飛距離を伸ばせず苦しみましたが、K点近くの119.5mまで飛んだ原田が113.0mの船木を抑えて逆転優勝し、サマーグランプリ総合優勝に花を添えました。 3位にはマルティン・シュミット(GER)とラインハルト・シュヴァルツェンベルガー(AUT)が同着で並び、以下、5位スヴェン・ハンナバルト(GER)、6位斎藤浩哉(雪印)、7位葛西紀明(マイカル)となりました。
 この2戦で際立ったのはなんといっても原田・船木両名の好調さでした。 特に原田は、8月のヨーロッパでのサマーグランプリからずっと好調を維持してきた結果史上初の2年連続サマーグランプリ総合優勝を獲得し、数々の修羅場をくぐり抜けてきたベテランの健在ぶりをアピールした形になりました。


■1998年FISアジアングランプリ団体戦ラージヒル K120■

斎藤浩哉(雪印) 葛西紀明(マイカル)

原田雅彦(雪印) 船木和喜(デサント)
 サマージャンプシリーズの最終戦となる団体戦は、9月15日に行われました。 参加チームは日本(A・B・Cの3チーム)、ドイツ、オーストリア、ノルウェー、フィンランド、スイス、チェコ、韓国と、FIS混合チーム(A・Bの2チーム)の計12チームでした。
 競技は激しく降りしきる雨の中行われました。優勝候補の筆頭日本A(斎藤浩哉(雪印)/葛西紀明(マイカル)/原田雅彦(雪印)/船木和喜(デサント))は1回目の原田と船木、2回目の葛西と船木の計4本のK点越えジャンプを揃え、圧勝しました。 2位にはドイツ(スヴェン・ハンナバルト/ローランド・アウデンリート/ハンスヨルグ・ヤックレ/マルティン・シュミット)、3位には日本B(吉岡和也(デサント)/佐藤昌幸(NTT北海道)/西方仁也(雪印)/宮平秀治(ミズノ))、以下4位オーストリア、5位ノルウェー、6位日本Cといった結果になりました。
 メンバー全員が昨シーズンのワールドカップ総合成績10位以内という日本Aは、まさに貫禄勝ち。特に好調だった原田や船木の他に、長野オリンピックでは団体戦のメンバーから外された葛西の復調が顕著で、今回も優勝に大きく貢献しました。 また、日本Bも西方や宮平らが好調で3位入賞、日本選手の層の厚さを証明しました。
 外国チームではドイツが相変わらず好調でしたが、他のチームが今ひとつの内容で、オーストリアやノルウェーがAクラスの選手を揃えているにもかかわらず良い結果が出せませんでした。 またフィンランドはBクラスの選手を中心に出場させており、冬のシーズンに向け、各国ごとの事情で取り組み方も異なることが伺えます。
 今回行われたサマージャンプの個人総合ポイントは、そのまま冬のシーズンに引き継がれることになりました。 11月末の第2ピリオド開始が楽しみです。


■1998-1999 FISワールドカップジャンプ開幕■


 11月28日を皮切りに、1998-1999 FISワールドカップジャンプが開幕しました。 今シーズンのトピックスとしては、スキー板とジャンプスーツ、そしてスタートゲートでの待ち時間について、それぞれルールの改正がありました。 以下に要点をまとめてみます。

◆スキー板の長さに関するルール改正
これまで各選手が使用できるスキー板は身長+80cmまでとされてきましたが、今回のルール改正で「270cmを最大長として各選手の身長の146%まで」という内容に変更されました。 この結果、身長174cmを境目にして、それよりも身長が高い選手はより長いスキー板を、それよりも身長が低い選手はより短いスキー板を、履かざるを得なくなります。 日本は174cmよりも低い身長の選手が多く、葛西紀明(チームマイカル)、原田雅彦(雪印)、船木和喜(デサント)らはほとんど変更がありませんが、とりわけ身長が低い岡部孝信(雪印)は5cmもスキー板が短くなってしまいます。 日本チームの中には、このルール改正は明らかに日本バッシングだと断言する人も多く、今後の動向が注目されます。
なおFISによると、このルール改正は今シーズン限りの暫定的なものであるということです。

◆ジャンプスーツの生地の厚さに関するルール改正
ジャンプスーツの生地の厚さは、これまでは最大8mmまでとされてきましたが、今回のルール改正で最大5mmまでと改められました。 生地が薄くなったことで空中でのたわみやしわが増え、空気抵抗が大きくなったために、空中で飛んでいるときの感覚が変わります。 踏切の方向はこれまでよりも多少上の方向に修正しなければならなくなり、また過度の前傾姿勢は飛距離を縮める要因になります。 スキー板の長さの変更よりもスーツの厚さの変更の方が、実際の「飛んでいる感覚」に影響を及ぼすことが多いと思われます。

◆スタートゲートでの待ち時間に関するルール改正
選手は踏切台(カンテ)の横にあるスタートのシグナルが青になってから、スタートします。 シグナルが青になってから選手がタイミングを待ちすぎると競技運営上支障が出るということで、最近は待ち時間を最大15秒としてきましたが、今回のルール改正で最大5秒までとされました。 このため選手はシグナルが青になってから風を待つことがほとんど不可能になり、また、選手のスタートのタイミングをジュリー(競技運営責任者団)が決定することになってしまいます。 風の条件が落ち着かない場合に、ジュリーの判断が正しくないと、選手によって風の条件がまちまちになってしまう可能性があります。

 11月28日と29日にはリレハンメル(NOR)で開幕2連戦が行われ、スキー板が長くなって好調のマルティン・シュミット(GER)が2連勝。 その後の試合でも、12月12日のオーベルホフ(GER)での第6戦を終えた段階でシュミットが6戦中4勝を挙げて、総合ポイントでダントツのトップに立っています。
 12月12日現在、日本選手の優勝はありませんが、船木和喜(デサント)が総合ポイントで3位、葛西紀明(チームマイカル)が5位、原田雅彦(雪印)が10位に入っています。 スキー板が短くなった岡部孝信(雪印)は苦戦を強いられており、総合30位にとどまっています。


■1998-1999 FISワールドカップジャンプ前半戦総括■


 前半戦はマルティン・シュミット(GER)とヤンネ・アホネン(FIN)の二人の独壇場となりました。 シュミットは既に7勝、アホネンは5勝をあげ、総合ポイントでは1月26日現在 1位 アホネン、2位 シュミット、3位 船木和喜(デサント)、4位 葛西紀明(チームマイカル)と続いています。 日本人選手では1月3日のインスブルック戦で葛西が、1月10日のエンゲルベルク戦と1月24日の札幌戦で船木が、それぞれ優勝しています。 個人総合成績ではシュミットとアホネンに及ばないものの、国別対抗ポイントでは昨年同様日本が断然トップを走り、選手層の厚さを感じさせます。
 ワールドカップ前半のヤマ場である、ヨーロッパジャンプ週間(Springertournee)は、葛西が最後まで総合優勝争いに絡みましたが、最終戦のビショフスホーフェン戦でアホネンに総合優勝をさらわれてしまいました。 最終結果は、1位 アホネン、2位 葛西、となり、3位には大健闘の宮平秀治(ミズノ)が入りました。 宮平は特にジャンプ週間前後で調子を上げてきて、ワールドカップの10位以内に入る実力を確固たるものにしたようです。 岡部孝信と斎藤浩哉(共に雪印)が不調のうえ、原田雅彦(雪印)も昨シーズンのような豪快なジャンプができていない現状を考えると、宮平の好調は日本チームにとって非常に大きなプラスとなっています。
 この後ワールドカップは、ヴィリンゲン(GER)で団体戦を含むラージヒル3連戦とハラホフ(CZE)のフライングヒル2連戦を行った後一時中断し、選手達は2月中旬からラムソー(AUT)で始まる世界選手権に臨むことになります。 安定感抜群の船木・葛西・宮平を中心にしたチームジャパン、今後の活躍に期待しましょう。


■葛西紀明 絶好調!〜ワールドカップ ヴィリンゲン大会■


 札幌でのワールドカップ2連戦を終えて、舞台はドイツのヴィリンゲンに移りました。 今回のワールドカップヴィリンゲン大会は、当初1月30日のラージヒル団体戦と、1月31日のラージヒル個人戦のみの予定でしたが、昨年12月中旬に予定されていたオーベルホフ大会2連戦のうち1戦が悪天候で中止になったため、その代わりに1月29日にヴィリンゲンでラージヒル個人戦を開催することになりました。 この3連戦の主役はなんと言っても、我らが「のりピー(笑)」葛西紀明(チームマイカル)。 29日のラージヒル個人戦は132.5mと124.5mを飛んで優勝。 30日のラージヒル団体戦では日本チーム(吉岡和也(デサント)/宮平秀治(ミズノ)/葛西紀明(チームマイカル)/船木和喜(デサント))の一員として参加し、2位のオーストリアチームに70ポイント以上の差を付けて優勝(個人別のポイントでは第2位)。 31日のラージヒル個人戦は127.0mと128.0mを飛んで優勝。 3連戦で団体戦を挟んで3連勝という素晴らしい成績をあげました。 団体戦を含む3連戦を全て優勝したのは、1996年3月のワールドカップ ラハティ大会で原田雅彦(雪印)が成し遂げて以来、約3年ぶりです。 この3連戦を終えて、個人総合ポイントは1位がヤンネ・アホネン(FIN)、2位がマルティン・シュミット(GER)、3位は船木和喜、4位は葛西紀明となりました。

 続く2月6〜7日のワールドカップ ハラホフ大会は、フライングジャンプで2連戦の予定でしたが、1日目は強風で競技が中止になり、その影響でフライングヒルの防風ネットが壊れてしまい、フライングジャンプ開催が絶望的になりました。 結局日本チームは続く2戦目には参加せずに帰国、2月18日から始まる世界選手権に備えることになりました。 2戦目はラージヒルで行われ、日本・ドイツ・オーストリアの主要選手が参加しない中、ヤンネ・アホネンが順当に優勝しました。 個人総合成績は、上位陣は順位の変動がありませんでした。


■1999年 ノルディックスキー世界選手権(ラムソー)■


 2月18日からオーストリアのラムソーで、ノルディックスキー世界選手権が開催されました。 スキージャンプは、ラムソーにラージヒルの台が無いので、ラージヒルの競技はビショフスホーフェンの台を使って行われました。

◆2月20日 ラージヒル
 スキージャンプ最初の競技はラージヒル。使用されたビショフスホーフェンの台(K120)は世界でも有数の難易度を誇る台で、どれだけ積極的なジャンプができるかが勝負の分かれ目となります。 日本選手は前回のトロンハイム世界選手権ラージヒルのチャンピオン原田雅彦(雪印)に加えて、船木和喜(デサント)、葛西紀明(チームマイカル)、宮平秀治(ミズノ)、斎藤浩哉(雪印)の5名が出場しました。
 競技当日は小雨が降り続く悪条件でしたが、無風であったために、各選手の実力の差が顕著に現れる結果となりました。 1本目はスヴェン・ハンナヴァルト(GER)が127.0mを飛んでトップに立ち、好調マルティン・シュミット(GER)が2位、宮平秀治が3位につけます。 練習の時から好調だった原田雅彦は、彼自身が苦手とする台であったためか失敗して7位、ラムソー入りしてからアプローチの滑りが安定しない葛西紀明は10位、船木和喜は5位、斎藤浩哉は9位となりました。
 2本目も無風の条件で大きな番狂わせは無く、シュミットが129.5mを飛んで逆転の優勝。 2位には127.0mを飛んだハンナヴァルト、3位は抜群の安定感で128.0mを飛んだ宮平秀治が入りました。 以下、4位ヤンネ・アホネン(FIN)、5位船木和喜、6位原田雅彦、9位に斎藤浩哉、10位葛西紀明となりました。 宮平は初めての世界の大舞台に臆することなく、堂々としたジャンプで見事に銅メダルに輝きました。 今シーズンの好調が本物であることを証明したジャンプだったと思います。

◆2月23日 ラージヒル 団体
 団体戦は雪が降り続く悪天候の中行われました。 昨年の長野五輪で優勝した日本チームと、今シーズン好調のドイツチームの一騎打ちとなることが期待されました。 日本チームは葛西紀明/宮平秀治/原田雅彦/船木和喜、 ドイツチームはスヴェン・ハンナヴァルト/クリストフ・ドゥフナー/ディーター・トーマ/マルティン・シュミットのオーダーでした。
 1本目は、ドイツのハンナヴァルトが転倒し、日本チームは葛西と船木が飛距離が伸びず、各チーム僅差の戦いになります。 2本目、ドイツチームはドゥフナーが転倒するも他の3人がK点を大きく越えてポイントを稼いだのに対し、日本チームはアプローチの滑りが悪い船木がK点を越えられず、わずか1.9点差でドイツチームにかわされました。 順位は、1位ドイツ、2位日本、3位オーストリア、4位フィンランド、5位スロヴェニア、6位ノルウェーとなりました。

◆2月26日 ノーマルヒル
 スキージャンプの最後を締めくくるのは、ラムソーのノーマルヒル(K90)。 日本チームは船木和喜、葛西紀明、宮平秀治、原田雅彦の4名が出場しました。 弱い追い風がほぼ一定の強さで吹いていましたが、雪温が下がって滑りも良くなり、コンディションとしてはほぼ最高の状態。 各選手の持つ技術力がそのまま結果に出る試合となりました。
 1本目は96.0mを飛んで着地も決めた船木和喜がトップ、2位には95.5mを飛んだ絶好調の宮平秀治、3位にマルティン・シュミットと続き、原田雅彦はこの試合最長不倒距離の98.0mを飛んで4位、葛西紀明もK点を越えて5位につけます。
 1本目の飛距離が出すぎると判断されてスタートゲートが下げられた2本目も、上位選手はK点越えの連発で、飛距離の差が出ない分飛型点の高さが勝負の分かれ目となりました。 結果は、2本目94.0mできれいに着地を決めた船木和喜が優勝。 2位には93.5mと飛距離で惜しくも船木に及ばなかった宮平秀治、 3位には1本目から一つ順位を上げた原田雅彦が入り、以下、4位ヤンネ・アホネン、5位には葛西紀明とマルティン・ヘルヴァルト(AUT)同得点で並びました。
 日本勢は昨年ラムソーで行われたワールドカップでも表彰台を独占しており、また世界選手権としては、1972年の札幌オリンピック兼世界選手権以来2回目の表彰台独占。 出場四選手が全て5位以内に入るという快挙を成し遂げました。

 今回の世界選手権では競技日を通じて天候や風の条件がめまぐるしく変わるようなことが無かったため、ラージヒルもノーマルヒルも実力通りの結果が出たと言えるでしょう。 日本勢ではやはり宮平秀治の活躍が目を引きます。 全ての試合においてほぼ完璧に近いジャンプを揃え、全く失敗しなかったことが、日本勢全体に好影響を与えていたと思います。 不調だった原田雅彦も世界選手権に入ってからは本来のジャンプを取り戻したようで、ワールドカップ後半戦に向けて大いに期待できる内容でした。

優勝した船木和喜(デサント) 2位の宮平秀治(ミズノ)

3位の原田雅彦(雪印) 5位の葛西紀明(チームマイカル)

ノーマルヒルでの各選手のジャンプ (NHK BS1より)



■1998〜1999年FISワールドカップスキー ジャンプ 全日程終了■


 3月19日から21日にかけてスロヴェニアのプラニツァで、1998〜1999年ワールドカップジャンプの最後を飾るフライング大会が行われ、この3連戦で今シーズンの全日程を終了しました。 2月の世界選手権が終わった後の最終ピリオドでも日本選手が大活躍、3月6日のラハティ大会では船木和喜(デサント)が優勝、3月11日のファルン大会と同14日のホルメンコーレン大会では葛西紀明(チームマイカル)が優勝して、好調を維持したままプラニツァ入りしました。
 19日の第一戦は2本目に214.5mの世界記録をうち立てたマルティン・シュミット(GER)が優勝、20日の第二戦では第一戦を風邪で欠場した宮平秀治(ミズノ)が優勝しました。 宮平はこれがワールドカップ初優勝です。 第三戦は絶好調葛西紀明が2本目に214.0mの日本記録をマークして優勝し、有終の美を飾りました。

 今シーズンの総合成績の最終結果は次のようになりました。

1. マルティン・シュミット(GER) 1753
2. ヤンネ・アホネン(FIN) 1695
3. 葛西紀明(チームマイカル) 1598
4. 船木和喜(デサント) 1589
5. 宮平秀治(ミズノ) 935
6. スヴェン・ハンナヴァルト(GER) 896
7. アンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT) 833
8. シュテファン・ホルンガッハ(AUT) 813
9. 原田雅彦(雪印) 720
10. ディーター・トーマ(GER) 555
13. 吉岡和也(デサント) 497

 総合優勝はマルティン・シュミット。シーズン開幕当初から絶好調で、プラニツァの3連戦の成績でそれまでトップだったアホネンを抜き返して、見事に総合優勝に輝きました。
 葛西紀明は1シーズン6勝の日本選手最多勝記録をうちたてて、自己最高タイの総合3位。 船木和喜は最後のプラニツァ3連戦で風に恵まれず、葛西に抜かれて総合4位に終わりました。 昨シーズン同様、シーズンの最後まで日本人選手が総合優勝争いに加わり、また宮平秀治の好調でチーム内の雰囲気も良く、高く評価できるシーズンであったと思います。
 スポーツ界ではオリンピック開催国はその翌年に良い成績をあげられないというジンクスがあるようですが、今年の日本ジャンプ陣はそのようなジンクスとは全く無縁だったようです。

 また、今シーズンの国別対抗成績(Nations Cup)の最終結果は次のようになりました。

1. Japan 6201
2. Germany 4394
3. Austria 3586
4. Norway 2494
5. Finland 2457
6. Slovenia 598
7. Czech Republic 547
8. France 500
9. Switzerland 291
10. Italy 199
11. Poland 174
12. Russia 94
13. Sweden 61
14. U.S.A. 21
15. Kazakhstan 9
15. Slovakia 9
17. Korea 1

 国別対抗では3シーズン連続で日本がトップをとったことになります。

 総括すると、全般的にマルティン・シュミットの好調が目立ちました。 シーズン半ばで多少疲れが出たのか、優勝から遠ざかった時期もありましたが、終盤戦ではまた復活してポイントを稼ぎ、終わってみれば総合優勝。 条件が整ったときのダントツの飛距離は、貫禄さえも感じさせるものでした。 途中まで好調だったヤンネ・アホネンは、シーズン半ばからベストジャンプができなくなってしまったようで、惜しくも総合優勝を逃しました。
 チーム全体で見ていくと、日本とドイツは好調でしたが、オーストリアはまだまだ好不調のむらが多いためステディな結果を残せずに終わりました。 ノルウェーはエース不在でしたし、フィンランドはヤニ・ソイニネンが不調だったためアホネン一人が孤軍奮闘せざるを得ず、どちらも苦しいシーズンであったろうと思います。
 スキー板の長さのレギュレーションが変更になるなど、開幕当初から不安材料が多かった今シーズンですが、ワールドカップは非常にエキサイティングな展開になりました。 これで日本国内のワールドカップジャンプのTV放送が更に増えたら(特に3月)、言うことないんですけど(笑)。

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