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1999−2000 Ski Jumping トピックス |
1999年のFISグランプリスキージャンプ(サマージャンプ)の日程が決定しました。
[第1ピリオド]
1999.08.07 ヒンターツァルテン(GER) K100(団体/ナイタージャンプ)
1999.08.08 ヒンターツァルテン(GER) K100
1999.08.14 クーシュベル(FRA) K120
1999.08.22 シュタムス(AUT) K105
1999.09.11 白馬(JPN) K120(団体)
1999.09.12 白馬(JPN) K120
1999.09.15 札幌(JPN) K120
1999〜2000年のFISワールドカップスキージャンプの日程が決定しました。
[第2ピリオド]
1999.11.27 クォーピオ(FIN) K120(ナイタージャンプ)
1999.11.28 クォーピオ(FIN) K120
1999.12.04 プレダッツォ(ITA) K120
1999.12.05 プレダッツォ(ITA) K120
1999.12.12 フィラハ(AUT) K90
1999.12.18 ザコパネ(POL) K116
1999.12.19 ザコパネ(POL) K116
[第3ピリオド]
1999.12.29 オーベルシュトドルフ(GER) K115
2000.01.01 ガルミッシュ・パルテンキルヘン(GER) K115
2000.01.03 インスブルック(AUT) K110
2000.01.06 ビショフスホーフェン(AUT) K120
2000.01.08 エンゲルベルク(SUI) K120
2000.01.09 エンゲルベルク(SUI) K120
[第4ピリオド]
2000.01.22 札幌(JPN) K120
2000.01.23 札幌(JPN) K120
2000.01.25 白馬(JPN) K120(団体)
2000.01.26 白馬(JPN) K120
2000.02.05 ヴィリンゲン(GER) K120
2000.02.06 ヴィリンゲン(GER) K120
[第5ピリオド]
世界スキーフライング選手権(*注)
2000.02.12 ヴィケルスン(NOR) K185
2000.02.14 ヴィケルスン(NOR) K185
2000.02.19 タウプリッツ/バートミッテルンドルフ(AUT) K185
2000.02.20 タウプリッツ/バートミッテルンドルフ(AUT) K185
2000.02.26 アイアンマウンテン(USA) K120
2000.02.27 アイアンマウンテン(USA) K120
[第6ピリオド]
2000.03.03 ラハティ(FIN) K90(ナイタージャンプ)
2000.03.04 ラハティ(FIN) K116(団体/ナイタージャンプ)
2000.03.05 ラハティ(FIN) K116
2000.03.10 トロンハイム(NOR) K120(ナイタージャンプ)
2000.03.12 オスロ(ホルメンコーレン)(NOR) K112
2000.03.18 プラニツァ(SLO) K185(団体)
2000.03.19 プラニツァ(SLO) K185
(*注)世界スキーフライング選手権はワールドカップポイント対象外です。
6月21日付の新聞各紙によると、船木和喜がデサントを退社して自ら会社を設立、プロ選手としてスキージャンプ競技に専念することになりました。 一企業社員としての競技活動の限界を打破し、よりラジカルに競技に取り組むための方策であると思われます。 今後は語学力の向上も含めて海外での競技活動により一層力を入れていくとのことです。 なお、現在のデサントチームのコーチ八木弘和氏の指導は継続されるようです。
日本の実業団スポーツ界では、名目上はアマチュア選手でもほとんどの選手が実質プロ選手として活動しているのが現状ですが、スキージャンプ選手としてプロ活動を宣言したのは日本人選手では船木和喜が初めてのケースになります。 彼の今後の動向に注目しましょう。
札幌宮の森ジャンプ競技場(K90)で今年初めてのノーマルヒルのサマージャンプが、UHB杯(7月31日)と札幌市長杯(8月1日)の2連戦で行われました。 好天に恵まれたUHB杯は、デサントを独立して初めての公式戦となった船木和喜(フィット)が圧倒的な強さを見せて優勝しました。 スキーのマテリアルもフィッシャーからロシニョールに変えて心機一転、この時期のジャンプとしてはほぼ完璧な仕上がりを見せました。 続く札幌市長杯はあいにくの雨天での競技となりましたが、一回目2位につけた船木が2回目にK点を大きく越えて逆転優勝。 宮の森2連戦は船木の2連勝に終わりました。
他の選手では、サマージャンプシーズンが始まって以来好調の原田雅彦(雪印)がふるわず、また、宮平秀治(ミズノ)や佐藤昌幸(NTT北海道)らが順調な仕上がりで好成績を残しました。 昨シーズンのスキー板のレギュレーション変更で苦しんだ岡部孝信(雪印)は札幌市長杯の一回目で首位に立ち、最終成績でも2位に入賞して、復活の兆しを見せています。 ヨーロッパ各地を転戦するサマーグランプリでも各選手の活躍が期待できそうです。
今年もサマージャンプのヨーロッパシリーズが開幕しました。 9月の札幌・白馬シリーズまで計7戦が行われる今シーズンの[日程]は、昨シーズンよりも団体戦が1戦多く予定されています。 緒戦にあたるヒンターツァルテン(GER)のノーマルヒル団体戦は8月7日に行われ、競技はドイツと日本の一騎打ちとなりました。 日本チームのメンバーは葛西紀明(チームマイカル)/西方仁也(雪印)/原田雅彦(雪印)/船木和喜(フィット)。 日本チームは第2飛躍の西方が1本目に風を待たされて飛距離が伸びなかった以外は全員良いジャンプを揃えましたが、結局その時についてしまったドイツとのポイント差が最後まで成績に響き、日本チームは2位に終わりました。 優勝はドイツチーム。終了時の日本とのポイント差はわずか0.5点でした。2月の世界選手権団体戦を思い出させるような惜敗でした。
続く8月8日は同じシャンツェを使用しての個人戦。 サマーシーズン開幕から絶好調のスヴェン・ハンナバルト(GER)が1回目に109mの大ジャンプを見せて優勝。 2位にはヤンネ・アホネン(FIN)、3位にはアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)が入りました。 日本選手は風に恵まれなかったのか成績が伸びず、船木和喜(フィット)の6位が最高でした。
ドイツチームの好調さが目についたサマーグランプリ開幕2連戦でした。
8月14日、アルベールビル冬季五輪の舞台となったフランスのクーシュベルでラージヒル個人戦(K120)が行われました。 優勝はアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)(255.5pt 127.5m/125.0m)。2位には原田雅彦(雪印)(253.7pt 126.5m/125.0m)、3位にはアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)(248.9pt 123.5m/124.5m)が入りました。 船木和喜(フィット)は6位、宮平秀治(ミズノ)は9位に終わりました。
8月22日、オーストリアのシュタムスでラージヒル個人戦(K105)が行われました。 優勝はマルティン・シュミット(GER)(265.3pt 112.0m/114.0m)、2位に原田雅彦(雪印)(264.3pt 113.5m/112.5m)、3位にはアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)(259.9pt 114.5m/108.5m)が入りました。 船木和喜(フィット)が7位、葛西紀明(チームマイカル)が18位となりました。
ここまでの4戦で、個人総合成績は1位がスヴェン・ハンナバルト(GER)、2位アンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)、3位原田雅彦(雪印)となっています。 また国別対抗成績は1位ドイツ、2位日本、3位オーストリアです。
今シーズンのサマージャンプを見ると、まず目立つのがオーストリアの英雄アンドレアス・ゴルトベルガーの復活です。 現役選手中ワールドカップ最多勝を誇るゴルトベルガーは、ここ2シーズンほど極度の不振が続いていましたが、サマージャンプ第2戦から第4戦まで3戦連続して3位に入り、好調さをうかがわせています。 またドイツ選手、特にスヴェン・ハンナバルトが絶好調で、相変わらずステディな強さを発揮している原田雅彦の影が薄く感じられてしまうほどです。 原田雅彦は今シーズンサマージャンプ個人総合3連覇がかかっていて、第4戦を終えた時点でも十分その可能性が残っています。 9月から始まる日本での個人戦2戦に逆転優勝の望みをつなぐことになります。
今シーズンのグランプリスキージャンプはここでヨーロッパシリーズを終え、次は9月11日からの日本シリーズで個人戦を2戦、団体戦を1戦行って、最終成績が決定します。 ここ3シーズンほどは日本人選手がサマージャンプの個人総合優勝のタイトルを勝ち取ってきました。 1996−97シーズンは岡部孝信(雪印)が、1997−98シーズン及び1998−99シーズンは原田雅彦がそれぞれ個人総合優勝を果たしています。 今シーズンはまだ日本人選手の優勝がありませんが、各選手の力量が拮抗している分、見応えある競技内容です。 地元での日本人選手の奮起に期待しましょう。
9月11日の白馬でのラージヒル団体戦及び同12日のラージヒル個人戦は、私も現地で観戦してきます。 後日そのレポートをこのページでお伝えします。 お楽しみに。
9月11日〜12日、白馬ジャンプ競技場でFISグランプリスキージャンプ白馬大会が行われました。 今年も現地へ観戦しに行ってきました。 天候不順が心配された白馬大会でしたが、11日の個人戦でにわか雨が降った以外は概ね晴天に恵まれ、特に12日は快晴の天候の上に風の条件も最高で大ジャンプが続出、非常に内容の濃い見応えのある大会となりました。
●9月11日 ラージヒル(K120)個人戦(サマーグランプリ第4戦)
11日はサマーグランプリ第4戦にあたる個人戦が行われました。 日本チームは開催国特権で18人をエントリーし、そのうち14人が本戦に出場しました。 外国勢ではここまで個人総合成績トップのスヴェン・ハンナヴァルト(GER)や復調著しいアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)をはじめ、名だたる強豪選手が勢揃いして大会を盛り上げました。 前日の予選では高校生ジャンパーが二人も本戦に残るなど、層の厚い日本チームの若手選手にも注目が集まりました。
競技は時折にわか雨が降るコンディションでしたが、風はあまり強くなく、各選手の技量がそのまま競技結果に反映されました。 1本目、5番スタートの高校生渡瀬雄太(札幌日大高)が106.5mの素晴らしいジャンプを見せて、場内は一気に盛り上がります。 優勝争いに食い込むことが期待された葛西紀明(チームマイカル)や、今シーズン最初の公式戦を迎えた斎藤浩哉(雪印)らは飛距離が伸び悩みましたが、ノーシード選手の予選成績トップだった佐藤昌幸(NTT北海道)や吉岡和也(デサント)らが頑張って上位に踏みとどまり、日本チームの層の厚さはここでも充分その真価を発揮したようです。 1本目のトップは122.0mを飛んだスヴェン・ハンナヴァルト。 2位には120.5mのヤンネ・アホネンが入り、3位は119.0mながら飛型点で満点を出した原田雅彦(雪印)でした。
2本目は、1本目に飛距離がふるわなかった船木和喜(フィットスキー)が奮起して最長不倒距離の124.5mをマークし、見事3位に食い込みました。 優勝は2本目もK点越えの123.5mを飛んだハンナヴァルト、2位はアホネンで、原田雅彦は2本目に108.5mと失敗して4位に後退しました。 他の日本選手では、7位に宮平秀治(ミズノ)、9位に佐藤昌幸、10位に渡瀬雄太が入りました。 大ジャンプが期待されたゴルトベルガーは6位に終わりました。
●9月12日 ラージヒル(K120)団体戦
前日の個人戦の結果、国別成績でドイツを抜いてトップに躍り出たのはやはり日本チームでした。 この日の団体戦のメンバーには、好調な船木和喜(フィットスキー)、原田雅彦(雪印)、宮平秀治(ミズノ)の他に、今シーズンに入って技術的にも精神的にも大きく成長した渡瀬雄太(札幌日大高)が選ばれました。 前日の成績では渡瀬より上だった佐藤昌幸(NTT北海道)を外し、敢えて4人目の選手として渡瀬を選んだところに、日本チーム首脳陣が渡瀬に寄せる期待の大きさがうかがえます。 昨シーズンのワールドカップで個人総合3位に入った葛西紀明(チームマイカル)は、会場内でささやかれていた噂によると右足を負傷しているらしく、この日は出場しませんでした。
参加チームは全11チーム。 日本チームは 渡瀬/宮平/原田/船木 の順番でエントリーしました。 本番開始前のトライアルジャンプで渡瀬がK点を大きく越える大ジャンプを見せて(このジャンプはトライアルの最長不倒距離でした)、好調さを見せつけます。 渡瀬は1本目を失敗してしまいましたが、2本目はうまくまとめて110mを越え、先鋒の重責を十二分に果たしました。 強豪揃いのドイツチームは、クリストフ・ドゥフナー/ミハエル・ウルマン/マルティン・シュミット/スヴェン・ハンナバルトのメンバーで臨みましたが、ドゥフナー、ウルマン、シュミットの3選手が2本のジャンプを揃えることができず、大苦戦。 ドイツチームに取って代わったのは、各選手の成績が安定しているオーストリアチーム(アンドレアス・ゴルトベルガー/マルティン・ヘルバルト/ヴォルフガング・ロイツル/アンドレアス・ヴィドヘルツル)でした。 この日は晴天の天候もさることながら、風の条件が非常に良く、常に向かい風が吹き続けるコンディションで、特に2本目に大ジャンプが続出しました。 2本目、第3グループの原田雅彦が、飛び出した瞬間に観客がどよめくほどの高い飛行曲線でぐんぐん飛距離を伸ばして131.5mをマークすると、第4グループではドイツのハンナヴァルトが135.5mの最長不倒距離で貫禄を見せ、最後の船木和喜もぎりぎりまで粘って130.5mの飛距離を叩き出しました。 他にもオーストリアのウィドヘルツルやフィンランドのアホネンなどが見せる大ジャンプで、場内は大いに盛り上がりました。 最終結果は、優勝が日本、2位にオーストリア、3位にドイツ、4位フィンランドの順番となりました。
長野五輪以来、日本チームの大活躍で白馬の観客にもすっかり「ジャンプ熱」が定着したようで、今年の白馬大会の盛り上がりは本場ヨーロッパに劣らない素晴らしいものであったように思います。 日本チームの優勝が大会の盛り上がりに花を添える形で、二日間にわたる白馬大会は無事終了しました。 大会の運営にあたった各委員や白馬村スキークラブの方々の他に、学校ぐるみで大会の運営に携わった白馬中学校の生徒の皆さん、そして「一校一交流」を合い言葉に長野冬季五輪と変わらぬ意気込みで外国選手を応援する各小学校の児童の皆さんなど、村全体で大会を成功させようとする熱意がひしひしと感じられ、非常に良い雰囲気の白馬大会であったことを、最後に記しておきます。
サマーグランプリの最終戦となる札幌大会は9月15日に札幌・大倉山のラージヒルで行われました。 大倉山のサマージャンプ大会はこれがこけら落としとなります。
11日の白馬大会ラージヒルで優勝したスヴェン・ハンナヴァルト(GER)の個人総合優勝がかかったこの大会、1本目の競技は強い向かい風が吹き付けるなか大ジャンプが続出し、絶好調の高校生渡瀬雄太(札幌日大高)が135.5mを飛んでトップに立ちました。 他にも原田雅彦(雪印)とアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)が135.5mをマークするなど、K点120m付近の飛距離では物足りないくらいの高いレベルの争いになりました。
2本目は一転して風が収まり、高い技術を持った選手が巻き返します。 1本目128.5mで11位だったハンナヴァルトは2本目も127.5mとうまくまとめて4位に入賞し、1本目3位だったゴルトベルガーは2本目に138.0mの大ジャンプを見せて2位に食い込みます。 1回目2位だった原田は2回目で失敗して3位に後退、期待の渡瀬は緊張したのか飛距離が伸びず優勝争いから外れてしまいました。 優勝したのは2本目に140.0mの夏のバッケンレコードを記録したアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)。 オーストリアチームのエースの意地を見せたスーパージャンプで、見事な逆転優勝を成し遂げました。
サマーグランプリの個人総合成績は、優勝がスヴェン・ハンナヴァルト、2位にはアンドレアス・ゴルトベルガー、3位にヤンネ・アホネン(FIN)が入り、原田雅彦は4位、船木和喜(フィットスキー)は7位、宮平秀治(ミズノ)は9位となりました。 今シーズンからはサマージャンプのポイントが冬のワールドカップに引き継がれます。 11月からは昨シーズンとはまた違った駆け引きのポイント争いが始まるでしょう。 サマージャンプが夏の競技としてすっかり定着した印象を受ける今年のサマーグランプリでした。
今シーズンのサマージャンプ大会を締めくくるFISコンチネンタルカップ白馬大会が、10月23日から24日にかけて白馬ジャンプ競技場で行われました。 ラージヒルK120の個人戦2連戦を行い、この競技結果が、11月下旬から始まるワールドカップ本戦への遠征メンバー選考に反映されることと思われます。
23日は船木和喜(フィットスキー)が130.0mと133.0mを飛んで圧勝しました。 2位には宮平秀治(ミズノ)と原田雅彦(雪印)が同着で並び、以下4位に渡瀬雄太(札幌日大高)、5位に葛西紀明(チームマイカル)という順位になりました。 今シーズンに入ってから絶好調の渡瀬がここでも4位に入り、これで11月からの遠征メンバーに選ばれる可能性が非常に高くなってきました。
24日も船木の強さが際だち、123.0mと135.0mを飛んで連勝しました。 2本目は長野五輪で岡部孝信(雪印)と原田雅彦が記録したバッケンレコード137.0mに迫る飛距離で、ランディングもテレマーク姿勢を入れようとする積極的なジャンプでした。 2位には121.5mと132.0mを飛んだ宮平が入り、ワールドカップへ向けての調整がうまくいっている様子をうかがわせました。 以下、3位にはデニス・シュテール(GER)、4位には葛西紀明、5位には原田雅彦が入賞しました。
ワールドカップは、11月27日フィンランドのクォーピオで行われるラージヒル個人戦(K120)を皮切りに計30戦が予定されています。 また今シーズンは2000年2月12日〜13日に世界スキーフライング選手権がノルウェーのヴィケルスンで開かれます。 日程の詳細は[こちら]をご覧下さい。
1999−2000ワールドカップジャンプの開幕戦が、11月27日から28日にかけてフィンランドのクォーピオで行われました。 今シーズンからサマージャンプのポイントがワールドカップポイントとして加算されることになり、ワールドカップ全体の日程では第2ピリオドが開幕したということになります。 競技はラージヒルK120(個人戦)2連戦で、競技の模様はNHKのBS1でも放送されました。
●11月27日 第1戦 ラージヒルK120[リザルト]
ナイトゲームとして行われたこの試合は強い横風が断続的に吹き続け、競技は1本目の成績だけで切り上げられてしまいました。 優勝したのは向かい風に恵まれて125.5mの最長不倒距離をマークしたマルティン・シュミット(GER)。 2位には復調著しいアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)が入り、3位には初めての表彰台となるマッティ・ハウタマキ(FIN)(ハウタマキ兄弟の弟)が入賞しました。 日本人選手では5位に葛西紀明(チームマイカル)、6位に宮平秀治(ミズノ)、9位に船木和喜(フィットスキー)が入りました。
●11月28日 第2戦 ラージヒルK120[リザルト]
夕方から始まった第2戦も風の条件が悪く、この日は強い追い風が絶え間なく吹くという最悪のコンディションでした。 特に、競技開始直後よりもワールドカップポイント上位の選手が並ぶ後半に追い風が強く、飛距離が100mを越えたのはたったの4人という寂しい内容でした。 結局この日も競技は1本目で打ち切られました。
優勝は117.5mを飛んだ伏兵ヴィレ・カンテー(FIN)。 以下、2位にリスト・ユシライネン(FIN)、3位にロベルト・チェコン(ITA)と続きました。 日本人選手は98.0mの原田雅彦(雪印)が8位に入ったのが最高で、以下、9位宮平秀治(ミズノ)、13位葛西紀明(チームマイカル)、24位吉岡和也(デサント)となりました。 期待された船木和喜(フィットスキー)は飛距離が伸びず、32位に終わりました。
ここ数年のワールドカップジャンプ開幕戦はノルウェーのリレハンメルで行われていましたが、今年は舞台がフィンランドに移りました。 リレハンメルでの試合はこの次の第3戦(12月5日)に行われます。 今後のワールドカップの日程は[こちら]をご覧下さい。
この二日間の競技を振り返ってみると、両日とも風の条件が非常に厳しく、各選手が実力を発揮できないまま試合が終わってしまったという印象を受けました。 特に第2戦は全体的に飛距離が伸び悩み、K点越えはおろか100mを越えた選手も4人だけで、地元フィンランドの選手が優勝はしたものの盛り上がりに欠ける結果だったと思います。 日本人選手は全員好調で、葛西や宮平は二日間とも技術力の高さを存分に示したジャンプを見せてくれました。 風の条件さえ良ければ、というところでしたから、次のリレハンメル大会には大いに期待を持てそうです。
12月5日に開催が予定されていたFISワールドカップスキージャンプ リレハンメル大会は、当地の雪不足のため開催が中止されました。 そのかわりに12月8日に予定されていたプレダッツォ大会の日程を変更し、リレハンメル大会の代替開催分を含めて、プレダッツォで12月4日から5日にかけてラージヒル個人戦を2連戦することが決定した模様です。
変更後のワールドカップの日程は[こちら]をご覧下さい。
12月4日から5日にかけてFISワールドカップスキージャンプの第3戦と第4戦がイタリアのプレダッツォで開催されました。 会場となるヴァルディフィエメのジャンプ台は2003年の世界選手権開催予定地です。 雪不足で中止になったリレハンメル大会の代替開催として、K120のラージヒル個人戦を当初の予定より1戦増やし、計2戦行われました。
●12月4日 第3戦 ラージヒルK120[リザルト]
この日はK点付近の風が左方向からの横風で、その風から前方向に浮力を得られたかどうかが鍵となりました。 優勝したのはオーストリアのアンドレアス・ヴィドヘルツル。 127.5mと128.0mの2本のバッケンレコードを揃えての圧勝でした。 2位にはマルティン・シュミット(GER)、3位にはアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)が入り、日本人選手では葛西紀明(チームマイカル)の5位が最高順位でした。 この試合で船木和喜(フィットスキー)は1stラウンドに転倒し、最下位に終わりました。
●12月5日 第4戦 ラージヒルK120[リザルト]
今シーズンのヨーロッパは概して風が強い様子で、この日も強風に悩まされました。 この日は1stラウンドを全てキャンセルして初めからやり直すという展開で、キャンセルとなったラウンドで132.0mの大ジャンプを見せたシモン・アマン(SUI)の記録も残念ながら無効となってしまいました。
優勝は前日に引き続きアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)。 1stラウンドに131.0mのバッケンレコードを記録して逃げ切りました。 2位にはヤニ・ソイニネン(FIN)、3位にはリスト・ユシライネン(FIN)が入り、日本人選手では宮平秀治(ミズノ)が5位に入賞した以外は低調な記録に終わりました。
12月12日、ワールドカップ第5戦がオーストリアのフィラハで行われました。 今シーズン数少ないノーマルヒルの大会です。 これまで強い風の影響でなかなか良い条件に恵まれなかったワールドカップジャンプですが、このフィラハ大会は風も落ち着いて、良い条件で行われたようです。
●12月12日 第5戦 ノーマルヒルK90[リザルト]
この日優勝したのは、調子は悪くないのにこれまで良い風に恵まれなかったヤンネ・アホネン(FIN)。 1stラウンド、2ndラウンド共に94.0mの最長不倒距離をマークし、堂々の完勝です。 2位には現在個人総合成績トップのマルティン・シュミット(GER)、3位には絶好調のアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)が入り、日本人選手では原田雅彦(雪印)が5位、船木和喜(フィットスキー)が6位にそれぞれ入賞しました。 また、8位には宮平秀治(ミズノ)、16位には葛西紀明(チームマイカル)、19位には斎藤浩哉(雪印)が入りました。 現在の実力と調子の善し悪しがそのまま順位に現れたような結果です。
この後、ワールドカップは18日から19日にかけてポーランドのザコパネでラージヒルを2連戦して、そこで2ndピリオドが終了します。 各選手はすぐにザコパネへ移動しますが、日本人選手の中で原田雅彦と佐藤昌幸(NTT北海道)、渡瀬雄太(札幌日大高)はザコパネ大会には参加せず、14日に一時帰国して国内で調整を行うようです。 国内大会は同18日から19日にかけて名寄ピヤシリシャンツェで開幕し、ノーマルヒル2連戦を行います。
12月18日から19日にかけて、名寄のピヤシリシャンツェのノーマルヒル(K86)で、今シーズンの国内開幕戦が行われました。 優勝したのは18日の名寄ピヤシリジャンプ大会、19日の吉田杯の両日とも、成年組が原田雅彦(雪印)、少年組が渡瀬雄太(札幌日大高)でした。 ワールドカップ遠征組の実力をまざまざと見せつけた二日間となりました。
12月18日から19日にかけて、ワールドカップ第6、第7戦がポーランドのザコパネで行われました。 日本チームは一時帰国した原田雅彦(雪印)・佐藤昌幸(NTT東日本北海道)・渡瀬雄太(札幌日大高)の三人をのぞくメンバーで臨みました。
●12月18日 第6戦 ラージヒルK116[リザルト]
優勝は2本のジャンプとも最長不倒距離の123.5mを記録したマルティン・シュミット(GER)。 2位のヤンネ・アホネン(FIN)を25ポイント以上引き離す圧勝でした。 3位にはポーランドに入ってから調子を上げてきたラッセ・オーテセン(NOR)が入りました。 日本選手は宮平秀治(ミズノ)の15位が最高で、以下船木和喜(フィットスキー)が19位、斎藤浩哉(雪印)が25位で、吉岡和也(デサント)と葛西紀明(チームマイカル)は2ndラウンドに進むことができませんでした。
●12月19日 第7戦 ラージヒルK116[リザルト]
この日は雪が割と強く降っていたようで、二度ほどスタートゲートを変更していました。 しかし、実力のある選手はやはり違います。 優勝はこの日もマルティン・シュミット(GER)。 2ndラウンドに126.5mの特大のジャンプを見せての逆転勝利でした。 2位はヤンネ・アホネン(FIN)、3位にはアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)が入り、船木和喜(フィットスキー)は4位、宮平秀治(ミズノ)は5位に入賞しました。 葛西紀明(チームマイカル)は14位、吉岡和也(デサント)は29位に終わり、斎藤浩哉(雪印)は2ndラウンドに進むことができませんでした。
この後ワールドカップはシーズン最大の山場、年末年始のヨーロッパジャンプ週間(Springertornee)を迎えます。 ドイツとオーストリアの計四つのジャンプ台を10日間ほどで転戦するジャンプ週間は、ヨーロッパでは冬の最大のスポーツイベントで、ジャンプ週間での総合優勝者にはワールドカップ総合優勝よりも大きな栄誉と賞金が与えられます。 日本チームは船木以外のメンバーは一時帰国して、26日に再び遠征に出かけることになります。 ジャンプ週間最初の試合は12月29日のオーベルシュトドルフ大会。 以下、1月1日のガルミッシュパルテンキルヘン大会、1月4日のインスブルック大会、1月6日のビショフスホーフェン大会と続きます。
12月29日から始まるヨーロッパジャンプ週間に遠征するメンバーが確定しました。
宮平秀治(ミズノ)
葛西紀明(チームマイカル)
船木和喜(フィットスキー)
原田雅彦(雪印)
斎藤浩哉(雪印)
渡瀬雄太(札幌日大高)
吉岡和也(デサント)
西下和記(北照高)
佐藤昌幸(NTT東日本北海道)に代わり西下和記(北照高)が遠征メンバーに選ばれています。 ワールドカップより一つ格下のコンチネンタルカップでの成績が良好なため抜擢されたようです。
12月29日、ヨーロッパジャンプ週間(Springertournee)の緒戦を兼ねたワールドカップジャンプ第8戦が、ドイツのオーベルシュトドルフで開催されました。 競技はK115のラージヒルで行われました。 1stラウンドに雪が強く降り、また風向きも左方向の横風とカンテ付近の弱い追い風があって、ノックアウト方式(*注)特有の番狂わせも多くあったようです。
優勝はマルティン・シュミット(GER)。 2ndラウンドに121.0mの最長不倒距離を記録しての大逆転でした。 2位はアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)、3位はアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)となり、1stラウンドでトップに立った原田雅彦(雪印)は5位に終わりました。 その他の日本人選手の結果は、宮平秀治(ミズノ)が12位タイ、船木和喜(フィットスキー)が21位、西下和記(北照高)は33位、葛西紀明(チームマイカル)は47位、吉岡和也(デサント)が50位でした。[リザルト]
●ノックアウト方式
予選とそれまでのワールドカップポイントの成績で上位50人が本戦に出場し、その成績の1位と50位、2位と49位、3位と48位‥‥という風に50人を2人ずつ25組のペアに分けて1stラウンドを飛び、それぞれのペアで成績の良い方が無条件で2ndラウンドに進みます。 また、相手に負けた選手の中でポイントの高い上位5人も、2ndラウンドに進みます。
2ndラウンドでは、こうして選ばれた30人の選手を1stラウンドのポイント順に並べて、成績の逆順で飛ばせます。 日本国内の試合では馴染みのない方式ですが、現地ではTV放映時に1stラウンドからエキサイティングな展開が楽しめるとあって少しずつ人気が出てきているようです。 現在のFIS公認競技では、ヨーロッパジャンプ週間の四戦のみこのノックアウト方式を採用しています。
1月1日、ヨーロッパジャンプ週間(Springertournee)の第2戦を兼ねたワールドカップジャンプ第9戦(ラージヒルK115)が、ドイツのガルミッシュ・パルテンキルヘンで開催されました。
1stラウンドトップに立ったのは116.0mを飛んだ原田雅彦(雪印)。 2位には宮平秀治(ミズノ)が入り、日本勢上位独占も期待できる滑り出しでした。
2ndラウンドはまさしく実力勝負。 バッケンレコードに迫る121.0mの大ジャンプを見せたアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)が逆転で優勝しました。 2位には2ndラウンドで112.0mと惜しくもK点を越えられなかった原田雅彦、3位には117.0mのジャンプで順位を上げたヤンネ・アホネン(FIN)が入りました。 原田は今シーズン日本人選手としては初めての表彰台に上がることになりました。
その他の日本人選手の成績は、宮平秀治が7位タイ、船木和喜(フィットスキー)が14位、葛西紀明(チームマイカル)が18位、西下和記(北照高)が26位でした。 また、斎藤浩哉(雪印)と吉岡和也(デサント)、渡瀬雄太(札幌日大高)は2ndラウンドに進むことができませんでした。[リザルト]
1月3日、ヨーロッパジャンプ週間(Springertournee)の第3戦を兼ねたワールドカップジャンプ第10戦(ラージヒルK110)が、オーストリアのインスブルックで開催されました。
優勝は114.0mと112.5mの他を寄せつけない大ジャンプを見せたアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)。 2位にはヴィドヘルツルにわずかに及ばなかったマルティン・シュミット(GER)、3位にはヤンネ・アホネン(FIN)が入りました。 日本人選手では船木和喜(フィットスキー)がここのベルクイーゼルのシャンツェを得意としていて、この日は奮起してK点ジャンプを二本揃えて4位に入賞しました。 また、宮平秀治(ミズノ)も1stラウンドに112.5mの大ジャンプを見せて5位に入賞しました。
その他の日本人選手では原田雅彦(雪印)が12位、葛西紀明(チームマイカル)が13位、西下和記(北照高)が17位でした。 斎藤浩哉(雪印)は2ndラウンドに進むことができませんでした。[リザルト]
1月6日、ヨーロッパジャンプ週間(Springertournee)の最終戦となるワールドカップジャンプ第11戦(ラージヒルK120)が、オーストリアのビショフスホーフェンで開催されました。
優勝は131.5mと129.0mを飛んだアンドレアス・ヴィドヘルツル。 ガルミッシュ・パルテンキルヘン戦から3戦続けての優勝で、ジャンプ週間総合優勝となりました。 2位は2本ともわずかにヴィドヘルツルに及ばなかったヤンネ・アホネン(FIN)。 3位はマルティン・シュミット(GER)でした。
日本人選手では宮平秀治(ミズノ)が9位、船木和喜(フィットスキー)が11位、原田雅彦(雪印)が13位、斎藤浩哉(雪印)が16位、葛西紀明(チームマイカル)が17位、吉岡和也(デサント)が28位でした。 西下和記(北照高)は2ndラウンドに進むことができませんでした。[リザルト]
1月8日から9日にかけて、ワールドカップジャンプ第12戦と第13戦が、スイスのエンゲルベルクで行われました。 ジャンプ台のプロフィールとしては割合旧式の台で、癖もあり、相性の善し悪しも結果に大きく影響したようです。 この大会でも日本人選手の表彰台はなりませんでした。
●1月8日 第12戦 ラージヒルK120[リザルト]
優勝は127.0mと125.0mの2本の最長不倒距離のジャンプで他を寄せつけなかったマルティン・シュミット(GER)。 2位はヤンネ・アホネン(FIN)、3位にはジャンプ週間で総合優勝を飾ったアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)が入りました。 日本選手は原田雅彦(雪印)が6位に入賞しましたが、宮平秀治(ミズノ)は18位、斎藤浩哉(雪印)が24位と低調な成績で、以下、船木和喜(フィットスキー)は34位、吉岡和也(デサント)が38位、西下和記(北照高)43位、葛西紀明(チームマイカル)44位でそれぞれ2ndラウンドにも進めずに終わりました。
●1月9日 第13戦 ラージヒルK120[リザルト]
この日はインラン(助走路)のシュプールが非常に不安定な状態で、滑りもヌケも悪く、サッツ(踏み切り動作)直後にバランスを崩す選手が続出しました。 優勝はこの日もマルティン・シュミット(GER)。 参加した50人の選手のうちただひとりだけ2本のK点ジャンプ(122.0m/124.0m)を揃えて優勝しました。 2位はスヴェン・ハンナヴァルト(GER)、3位はヤンネ・アホネン(FIN)でした。 日本選手では葛西紀明(チームマイカル)の11位が最高順位で、以下斎藤浩哉(雪印)が17位、、宮平秀治(ミズノ)は24位でした。 また、この試合でも4人が2ndラウンドに進めず、西下和記(北照高)が31位、吉岡和也(デサント)が38位、船木和喜(フィットスキー)は36位、原田雅彦(雪印)は45位に終わりました。
●1月9日 第41回雪印杯全日本ジャンプ大会 ノーマルヒル K90(宮の森ジャンプ競技場)
年明け最初の公式戦となった雪印杯は天候もよく、上々のコンディションで行われました。 特にこの日は、ジュニア・少年組の若い選手のジャンプが注目を集めました。 ジュニアの部の優勝は2本ともK点を越えるジャンプを見せた伊東大貴(下川中)。 少年組の優勝は石澤岳(下川商業高)、成年組の優勝は鶴巻信也(NTT東日本北海道)でした。 鶴巻は5年ぶりの優勝になります。
●1月10日 第42回HBCカップジャンプ競技会 ラージヒル K120(大倉山ジャンプ競技場)
絶え間なく雪が降り続けるこの日は飛距離が思うように伸びず、技術力の高さを問われる試合となりました。 優勝は好調の岡部孝信(雪印)。 2ndラウンドの125.0mのジャンプは、無風の条件で彼の滑空技術の素晴らしさを見せつけた貫禄の飛行でした。 2位には成長著しい高校生、森崇(長野飯山南高)が入りました。
●1月14日 第28回札幌オリンピック記念国際スキージャンプ競技大会 兼 FISコンチネンタルカップジャンプ大会2000 ノーマルヒル K90(宮の森ジャンプ競技場)
関西方面ではTV中継されませんでしたので、ここでは結果のみ掲載します。 優勝は葛西紀明(チームマイカル)、2位原田雅彦(雪印)、3位宮平秀治(ミズノ)。
●1月15日 第27回HTBカップ国際スキージャンプ競技大会 兼 FISコンチネンタルカップジャンプ大会2000 ラージヒル K120(大倉山ジャンプ競技場)
ワールドカップ遠征メンバーを交えて行う今季初の国内ラージヒル。 大倉山特有のめまぐるしく向きが変わる風の中、遠征メンバーが順当に成績を伸ばしました。 優勝は船木和喜(フィットスキー)、2位は原田雅彦(雪印)、3位は岡部孝信(雪印)でした。 船木と原田は130mジャンプを連発し、非常に見応えのある優勝争いでした。 選手の顔ぶれを見るとワールドカップ遠征組が勝って当たり前の内容でしたが、国内残留組の岡部が好調さを持続して表彰台に上がったことは高く評価できます。
●1月16日 第39回STVカップ国際スキージャンプ競技大会 兼 FISコンチネンタルカップジャンプ大会2000 ラージヒル K120(大倉山ジャンプ競技場)
この日は天候も良く風も穏やかで、各選手の真の実力が試される条件となりました。 優勝は船木和喜(フィットスキー)。 2ndラウンドに135.0mの大ジャンプを見せて1stラウンドの6位から逆転しました。 2位は1stラウンドトップに立っていた葛西紀明(チームマイカル)、3位は原田雅彦(雪印)でした。 今シーズンに入ってから自分のジャンプが思うようにできていなかった船木ですが、この日の135.0mのジャンプでようやく本来のスタイルに戻ってきたようです。 ワールドカップ遠征メンバーが順当に成績を伸ばす中、この試合でも岡部孝信(雪印)が5位に入賞、復活の手応えを感じさせる内容でした。
●1月22日 第14戦 ラージヒル K120(大倉山ジャンプ競技場)[リザルト]
穏やかな天候のもと行われた札幌大会一日目は、1stラウンドでK点付近の風の強弱によって飛距離のばらつきがあったものの、概ね実力通りの結果に終わりました。 特に2ndラウンドはほとんど無風で、選手達の調子の善し悪しが如実に成績に現れました。 優勝はマルティン・シュミット(GER)。125.5mと118.0mを飛び、貫禄の勝利です。 2位にはヤンネ・アホネン(FIN)、3位にはリスト・ユシライネン(FIN)が入りました。
日本選手では高校生の西下和記(北照高)が健闘して7位に食い込みましたが、以下8位に葛西紀明(チームマイカル)、17位に斎藤浩哉(雪印)、20位に宮平秀治(ミズノ)、21位に岡部孝信(雪印)、24位に原田雅彦(雪印)、28位に吉岡和也(デサント)、そして30位が仲村和博(チームマイカル)と、不満の残る成績に終わってしまいました。 また、船木和喜(フィットスキー)は32位で2ndラウンドに進むことができませんでした。
●1月23日 第15戦 ラージヒル K120(大倉山ジャンプ競技場)[リザルト]
この日は2ndラウンドに風が強くなり2回のキャンセルが行われるなど、前日の試合よりも荒れた風の条件の中で行われました。 しかし、そんな条件でも順当に飛距離を伸ばすのが一流選手達。 この日は130m前後の素晴らしい大ジャンプが何本も見られました。 優勝は2本の130mジャンプを揃えたマルティン・シュミット(GER)。 2位は、シュミットに僅か及ばなかったものの2ndラウンドの132.5mのジャンプで順位を上げたヤニ・ソイニネン(FIN)、3位には風がほとんどない条件でも安定したジャンプを揃えた斎藤浩哉(雪印)が入りました。 不振が続く日本勢にあってマイペースで調整を進めてきた斎藤は、1997−1998シーズン以来の表彰台になります。。
その他の日本選手の成績は、西下和記(北照高)がこの日も健闘して8位に食い込みました。 二日連続の好成績で非常に喜ばしい結果です。 以下、船木和喜(フィットスキー)が17位、原田雅彦(雪印)は18位、宮平秀治(ミズノ)は25位、葛西紀明(チームマイカル)は29位に終わりました。
●1月25日 団体戦 ラージヒル K120[リザルト][フォトレポート]
白馬ジャンプ競技場の特徴として風向きが激しく変化することが挙げられますが、この日の風の条件はその典型的なものでした。 3m/sから4m/s前後の風がくるくると向きを変え、選手達を悩ませました。 そんな厳しい条件の中優勝したのは、四人の選手全員が絶好調なフィンランド。 国別対抗成績トップを走る強さを改めて証明した内容でした。 2位には惜しくも最後でフィンランドにかわされたドイツ、3位はオーストリアで、日本は4位に終わりました。 日本チームが団体戦で表彰台を逃したのは、1993年の世界選手権以来7年ぶりとなります。
●1月26日 第16戦 ラージヒル K120[リザルト][フォトレポート]
この日は天候が良く風も穏やかで、絶好の条件の下で競技が行われました。 1stラウンド終了時点で首位に立ったのはマルティン・シュミット(GER)でしたが、雪温が下がった2ndラウンドは各選手の飛距離も伸び、エキサイティングなジャンプ合戦が繰り広げられました。 優勝は2ndラウンドに131.0mを飛んだヤニ・ソイニネン(FIN)。 長野冬季五輪の時のような積極的なジャンプと高い技術力で、見事に逆転優勝しました。 2位はアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)、3位はヴィレ・カンテ(FIN)でした。 シュミットはプレッシャーに勝てず、2ndラウンドに失敗してしまい、5位に終わりました。 日本選手では宮平秀治(ミズノ)が復調の兆しを見せるジャンプで10位に入ったのが最高。 葛西紀明(チームマイカル)が11位、原田雅彦(雪印)が12位、斎藤浩哉(雪印)が14位、船木和喜(フィットスキー)が15位、西下和記(北照高)が20位、吉岡和也(デサント)が30位でした。
この白馬大会は現地で観戦してきました。 白馬ジャンプ競技場は風の条件が厳しいことで有名ですが、その風も夕方以降は凪いで落ち着くため、今回の白馬大会は夕方開始のナイトゲームで行われました。 折しも日本海側から強い寒気が入ってきて、会場は氷点下6℃を下回る寒さでした。
不調が伝えられる日本チームは、初日の団体戦で表彰台を逃すなど、白馬大会でもめぼしい成績を残すことができませんでした。 「技術的な問題よりも復活のきっかけが必要」と関係者が口を揃えるように、チーム全体の「雰囲気」や「流れ」が悪く、フィンランドやドイツに向いてしまった「ツキ」をなかなか取り戻せません。 象徴的だったのは二日目の個人戦で、ほぼ無風の好条件の中で出たこの成績こそが今の日本チームの「力」なのではないかと感じました。
日程が平日だったため、昨年のサマーグランプリほど観客数は多くありませんでしたが、日本以外の選手が良いジャンプをすればきちんと声援を送り、不要なブーイングも無く、盛り上がりは相当なものでした。 長野冬季五輪で得た人気がかなり深く定着してきているようです。 白馬村全体で大会を盛り上げようとする意欲はこの大会でも全く変わらず、大会運営もスムーズで、非常に良い雰囲気で観戦することができました。 競技終了後には花火大会も行われるなど、サービス精神も旺盛。 日本勢の成績が良くなかったことを除けば(苦笑)、大成功に終わった白馬大会でした。
ワールドカップは、この後2月に入ってから舞台をドイツのヴィリンゲンに移します。
●2月5日 第17戦 ラージヒル K120[リザルト]
この日はジャンプ週間の総合優勝者アンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)が2ndラウンドに130.0mの大ジャンプを見せて、ぶっちぎりで優勝しました。 2位にはヤンネ・アホネン(FIN)、3位にはマルティン・シュミット(GER)が入り、原田雅彦(雪印)が4位に入賞しました。 その他の日本勢は西下和記(北照高)が11位、岡部孝信(雪印)が16位、船木和喜(フィットスキー)が22位に終わりました。
●2月6日 第18戦 ラージヒル K120[リザルト]
今回のヴィリンゲン大会は雪不足の影響か、条件が不安定だったようで、その中でもコンスタントに「失敗しないジャンプ」を飛ぶことができる実力者が順当に成績を伸ばしたようです。 優勝は前日に引き続きアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)。 1stラウンドの135.0mの大ジャンプで逃げ切りました。 2位にはマルティン・シュミット(GER)、3位にはヤンネ・アホネン(FIN)が入りました。 日本勢は、宮平秀治(ミズノ)が5位入賞、原田雅彦(雪印)10位、西下和記(北照高)11位、斎藤浩哉(雪印)12位、船木和喜(フィットスキー)15位、葛西紀明(チームマイカル)22位、岡部孝信(雪印)26位、となりました。
世界スキーフライング選手権は二年に一回行われる大会で、今年はノルウェーのヴィケルスンで開催されました。 競技を二日間行い、その総合成績を競います。 ヴィケルスンのフライングヒルは風が強くなるケースが多く、難易度も非常に高くなります。 過去には、1998年に行われたワールドカップで岡部孝信(雪印)、斎藤浩哉(雪印)、葛西紀明(当時 地崎工業)の三人で表彰台を独占したこともありました。 なかなか調子が上がってこない日本選手達が、好調な三強(シュミット・ヴィドヘルツル・アホネン)にどれだけ迫れるかが見どころとなりました。
●2月12日 一日目 フライングヒル K185[リザルト]
ヴィケルスン特有の強い風はこの日も弱まることはありませんでした。 1stラウンドの途中で競技はキャンセルされ、その代わりに二日目に3ラウンド行うことになりました。
●2月14日 二日目 フライングヒル K185[リザルト]
13日に行われた競技は、結局風がおさまらずに再びキャンセルされ、二日目の競技は14日に延期されました。 競技は変則的に3ラウンドの合計で競われました。 優勝はスヴェン・ハンナヴァルト(GER)。 3rdラウンドに196.5mのバッケンレコードで逃げ切りました。 2位にはアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)、3位はヤンネ・アホネン(FIN)でした。 現在ワールドカップ個人総合トップのマルティン・シュミット(GER)は6位に終わりました。 日本選手では葛西紀明(チームマイカル)が5位に入賞、船木和喜(フィットスキー)が7位、宮平秀治(ミズノ)が10位、岡部孝信(雪印)は17位タイでした。
先日行われた世界スキーフライング選手権に引き続き、フライングヒルのワールドカップがタウプリッツ(オーストリア)のバートミッテルンドルフのシャンツェで行われました。 バートミッテルンドルフというと、オールドファンが思い出すのは1986年3月に秋元正博(地崎工業)が転倒して右足を複雑骨折する大怪我をしたことでしょう。 当時はインラン(助走路)の整備も不完全なことが多く、風の条件が悪いと転倒する選手が続出したものですが、近年はシャンツェの整備もレベルが高く、競技運営も安定して行われるようになりました。 1997年には同じシャンツェで岡部孝信(雪印)が優勝した経験もあり、この二連戦でも日本選手の大ジャンプに期待がかかりました。
●2月19日 第19戦 フライングヒル K185[リザルト]
この日は雪が強く、選手によってはインランの条件の差が飛距離に大きく影響してしまったケースもありました。 結局2ndラウンドは途中でキャンセルされ、1stラウンドの成績のみで順位が確定しました。 優勝は198.0mを飛んだ世界スキーフライング選手権の覇者スヴェン・ハンナヴァルト(GER)。 2位にはただ一人200.0mを飛びながら飛型点でハンナヴァルトに及ばなかったアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)、3位にはフライングヒルに強いトミー・インゲブリットセン(NOR)が入りました。 日本勢は原田雅彦(雪印)が12位、宮平秀治(ミズノ)が13位、斎藤浩哉(雪印)15位、船木和喜(フィットスキー)22位、岡部孝信(雪印)24位、葛西紀明(チームマイカル)30位、西下和記(北照高)が41位でした。 葛西は183.5mを飛ぶまずまずのジャンプだったにもかかわらず、ブレーキングトラックのコブに足を取られて転倒し左足を負傷、2ndラウンドのジャンプをキャンセルしました。
●2月20日 第20戦 フライングヒル K185[リザルト]
荒天のため競技は中止となりました。
●1月29日 FISコンチネンタルカップ白馬大会 兼 NBS杯 ラージヒル K120(白馬ジャンプ競技場)
ワールドカップ遠征のスケジュールのために主力選手の多くを欠く中行われたコンチネンタルカップ白馬大会一日目は、トーマス・ヘール(AUT)が2ndラウンドに133.5mの大ジャンプを見せて優勝しました。 2位は森崇(飯山南高)、3位は斎藤浩哉(雪印)でした。
●1月30日 FISコンチネンタルカップ白馬大会 兼 SBC杯 ラージヒル K120(白馬ジャンプ競技場)
晴天に恵まれたコンチネンタルカップ二日目は、好調な斎藤浩哉(雪印)が安定したジャンプと高い飛型点で逃げ切り、優勝しました。 2位はラインハルト・シュヴァルツェンベルガー(AUT)、3位は吉岡和也(デサント)でした。
●2月5日 第12回UHB杯ジャンプ大会 ラージヒル K120(大倉山ジャンプ競技場)
強い向かい風で130mを越える大ジャンプが続出したこの大会、優勝したのは吉岡和也(デサント)でした。 2ndラウンドの132.0mのジャンプでさえ、飛型フォーム改造中の彼自身は納得のいかない内容だったようですが、2本のジャンプを揃える安定性はさすがです。 2位は仲村和博(チームマイカル)、3位には東輝(日本空調サービス)が入りました。 少年組は渡瀬雄太(札幌日大高)が優勝しました。
●2月6日 第11回TVh杯ジャンプ大会 ラージヒル K120(大倉山ジャンプ競技場)
この日の優勝も吉岡和也(デサント)かと思われたところ、今シーズンになって技術的成長の著しい西森享平(白馬スキークラブ)が2ndラウンドの132.0mの最長不倒で吉岡を振りきって優勝しました。 吉岡は2位に終わりました。 3位に佐藤昌幸(NTT東日本北海道)でした。 少年組はこの日も渡瀬雄太(札幌日大高)が制しました。
●2月26日 第78回ノルディックスキー全日本選手権 兼 第41回NHK杯ジャンプ大会 ラージヒル K120(大倉山ジャンプ競技場)
ワールドカップ遠征から一時帰国した原田雅彦(雪印)を交えて行われた全日本選手権、優勝したのは1stラウンドに134.0mの大ジャンプを見せて逃げ切った吉岡和也(デサント)でした。 2位は追い上げ及ばなかった原田、3位には東輝(日本空調サービス)が入りました。
●2月27日 第78回ノルディックスキー全日本選手権 ノーマルヒル K90(宮の森ジャンプ競技場)
優勝は2本ともK点を越えて貫禄を見せつけた原田雅彦(雪印)。 彼自身、全日本選手権の優勝は通算6勝目となり、笠谷幸生(ニッカウヰスキー)と秋元正博(地崎工業)が持っていた通算5勝の記録を塗りかえました。 2位は東輝(日本空調サービス)、3位は2ndラウンドに最長不倒距離の96.5mを飛んだ西森享平(白馬スキークラブ)でした。
1月下旬から2月にかけての国内戦では吉岡和也(デサント)の活躍が目立ちました。 1999年秋から飛型フォームの改造に取り組んでいる吉岡。 改善点は、飛行中の両脚のスタンスを広くとること、そして飛行後半での重心の移行を抑えめにすると共にスキー板の角度をこれまでよりも若干上向き加減に保つことです。 こうすることでスキー板と身体全体で包み込むように風をとらえ、後半の浮力を得ようというわけです。 この新しいスタイルはフィンランド・オーストリア・ドイツの各選手が既にマスターしつつあり、日本の各選手も現在必死になって技術習得に励んでいますが、吉岡の取り組みは自身のジャンプスタイルの基礎から見直そうというラジカルな試みです。 この後吉岡はワールドカップ遠征には加わらずに引き続き国内で調整を続けますが、来シーズン以降を見据えたこのヴィジョンは近い将来きっと実を結ぶものと期待されます。 低迷する日本ジャンプチームを救うのは、彼なのかもしれません。
アメリカでのワールドカップ開催は1996年以来4年ぶりです。 フライングシャンツェでの試合が続いたこと、また次週から北欧シリーズが始まることから、この二連戦をどのように闘うかでワールドカップ最終ピリオドへの勢いも左右される可能性があります。 日本勢は原田雅彦(雪印)が一時帰国し、葛西紀明(チームマイカル)が左足を負傷した直後で、戦力に若干の不安も感じられました。
●2月26日 第21戦 ラージヒル K120[リザルト]
この日はコンディションが悪かったのか、波乱に富んだ展開となりました。 個人総合成績2位のアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)が39位、同3位のヤンネ・アホネン(FIN)が19位、同4位のアンドレアス・ゴルトベルガーが12位と、多くの有力選手が飛距離を落としてしまいました。 そんな状態でも貫禄の強さを見せつけたのがマルティン・シュミット(GER)。 130m前後のジャンプを揃えて見事な優勝です。 2位はトミー・インゲブリットセン(NOR)、3位はシュテファン・ホルンガッハ(AUT)でした。 日本選手では船木和喜(フィットスキー)が8位に入ったのが最高順位で、以下宮平秀治(ミズノ)が15位、岡部孝信(雪印)が28位。 斎藤浩哉(雪印)と西下和記(北照高)は2ndラウンドに進むことができませんでした。
●2月27日 第22戦 ラージヒル K120[リザルト]
この日も悪条件は続き、強風のためトレーニングもトライアルも行わず、1stラウンドのみで順位が確定しました。 優勝は129.0mを飛んだマルティン・シュミット(GER)。 シーズン通算優勝回数最多記録タイとなる10勝目を上げました。 2位はアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)、3位はアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)でした。 124.5mを飛んだ岡部孝信(雪印)は見事に4位入賞しました。 船木和喜(フィットスキー)は11位、宮平秀治(ミズノ)は14位で、西下和記(北照高)、葛西紀明(チームマイカル)、斎藤浩哉(雪印)は2ndラウンドに進むことができませんでした。
ワールドカップジャンプの最終ピリオドは北欧シリーズ。 フィンランドのラハティを皮切りにノルウェーのトロンハイム、ホルメンコーレンとまわって、ノルディックトーナメントが行われます。 ラハティは来年にノルディックスキー世界選手権を控えているので、そのプレ大会という意味合いから、ノーマルヒル個人・ラージヒル団体・ラージヒル個人と世界選手権と同じ種目で行われました。
●3月4日 第23戦 ノーマルヒル K90[リザルト]
当初現地時間3日の夕方に予定されていたノーマルヒルは、強風のため4日の午前に順延されました。 1stラウンドを終わってトップに立ったのは91.5mを飛んだ原田雅彦(雪印)。 しかし2ndラウンドでは飛距離が伸びず、優勝を逃してしまいました。 優勝は2ndラウンドに98.5mの最長不倒距離を飛んだヤンネ・アホネン(FIN)。 今シーズン、三強の一角を占めておきながら優勝には恵まれていなかったアホネン、今季2勝目になります。 2位はスヴェン・ハンナヴァルト(GER)、3位はラッセ・オーテセン(NOR)でした。 個人総合成績トップのマルティン・シュミット(GER)は13位でした。 日本人選手は葛西紀明(チームマイカル)が8位、原田雅彦が10位、岡部孝信(雪印)11位、宮平秀治が21位、船木和喜(フィットスキー)は32位、西下和記(北照高)が36位でした。
●3月4日 団体戦 ラージヒル K116[リザルト]
ノーマルヒルに続いて現地時間4日夕方から行われたラージヒル団体戦、優勝はフィンランドでした。 2位はオーストリア、3位はドイツで、日本チームは5位に終わってしまいました。 日本チームのメンバーは船木和喜(フィットスキー)、宮平秀治(ミズノ)、葛西紀明(チームマイカル)、原田雅彦(雪印)の四人。 葛西が121.5mと117.0mを飛んで奮闘したものの、チームとしての成績は伸びませんでした。 団体戦5位は1993年の世界選手権以来の悪い成績です。
●3月5日 第24戦 ラージヒル K116[リザルト]
ラハティ大会の最終戦ラージヒルは、ノーマルヒルでは入賞もできずに辛酸をなめたマルティン・シュミット(GER)が底力を見せて優勝しました。 2位はわずか0.7ポイント差でヤンネ・アホネン(FIN)、3位はアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)でした。 日本勢は前日の団体戦の不調をそのまま引きずったかのような低調さで、原田雅彦(雪印)が9位に入ったのが最高順位で、以下、船木和喜(フィットスキー)が15位、葛西紀明(チームマイカル)が18位、西下和記(北照高)が25位でした。
1999−2000シーズンもいよいよ大詰め。 先に行われたラハティ大会のラージヒル個人戦では、マルティン・シュミット(GER)が優勝した時点でシーズン個人総合優勝までも決めてしまったので、総合優勝争いの熾烈さは感じないものの、シーズン終盤という高揚した雰囲気ひしひしと感じられます。 トロンハイム(ノルウェー)のラージヒルは1997年の世界選手権と翌1998年のワールドカップで原田雅彦(雪印)が、昨年のワールドカップでは葛西紀明(チームマイカル)が優勝していて、日本チームにとっては縁起の良いシャンツェです。 少しずつ調子が上向いてきている日本勢の奮起に期待がかかりました。
ワールドカップ第25戦となるトロンハイム大会は現地時間の3月10日にラージヒル(K120)で行われ、2本の130m越えジャンプを見せたスヴェン・ハンナヴァルト(GER)が優勝しました。 2位はヴィレ・カンテ(FIN)、3位はヤンネ・アホネン(FIN)でした。 日本勢は葛西紀明(チームマイカル)が7位、斎藤浩哉(雪印)が8位、船木和喜(フィットスキー)と原田雅彦(雪印)が12位タイ、宮平秀治(ミズノ)がアンドレアス・ヴィドヘルツル(AUT)と並んで14位タイ、西下和記(北照高)が25位でした。 個人総合優勝が決まっているマルティン・シュミット(GER)は19位に終わりました。[リザルト]
ワールドカップジャンプ北欧シリーズ「ノルディックトーナメント」の最終戦にあたる第26戦が、3月12日にノルウェーのオスロで行われました。 使用するのはヨーロッパで最も歴史の古いシャンツェの一つに必ず挙げられるホルメンコーレンのラージヒル(K115)。 多いときには約10万人の観客が入る伝統のホルメンコーレン大会を制したのは、2ndラウンドに132.5mを飛んだスヴェン・ハンナヴァルト(GER)でした。 2位はヴィレ・カンテ(FIN)、3位はヤンネ・アホネン(FIN)と、トロンハイム大会と同じ顔ぶれで表彰台が占められてしまいました。
日本選手では葛西紀明(チームマイカル)が2ndラウンドに非常に良いジャンプをしたものの転倒して順位を17位まで下げました。 船木和喜(フィットスキー)は8位、斎藤浩哉(雪印)が10位、岡部孝信(雪印)は15位、西下和記(北照高)は25位でした。 原田雅彦(雪印)と宮平秀治(ミズノ)は2ndラウンドに進むことができませんでした。[リザルト]
●3月4日 第71回宮様スキー大会国際競技会 ノーマルヒル K90(宮の森ジャンプ競技場)
悪天候のため1本のみで競技が打ち切られました。 成年組は太田泰彦(明大)が優勝、2位は斉藤慎一郎(日大)、3位は岡村創太(雪印)でした。 少年組はマヌエル・フェットナー(AUT)が成年組を上回る記録で優勝しました。
●3月5日 第71回宮様スキー大会国際競技会 ラージヒル K120(大倉山ジャンプ競技場)
成年組は136.0mのジャンプを2本揃えた吉岡和也(デサント)が優勝。 2位は坂野幸夫(雪印)、3位は西方仁也(雪印)でした。 少年組はノーマルヒルに続いてマヌエル・フェットナー(AUT)が制しました。
●3月8日 FISコンチネンタルカップ第12回国際蔵王ジャンプ大会兼山形市長杯 ノーマルヒル K90(蔵王ジャンプ台)
国内ではシーズン最後の国際試合となるコンチネンタルカップ一日目、優勝したのはシュテファン・トゥルンビヒル(GER)でした。 2位は吉岡和也(デサント)、3位はマヌエル・フェットナー(AUT)でした。
●3月9日 FISコンチネンタルカップ第12回国際蔵王ジャンプ大会兼NHK杯 ノーマルヒル K90(蔵王ジャンプ台)
コンチネンタルカップ二日目は日本選手が奮起、西方仁也(雪印)がK点越えジャンプを2本揃えて優勝しました。 2位は吹田幸隆(雪印)、3位は西森享平(白馬スキークラブ)でした。
●3月10日 第24回伊藤杯宮の森ナイタージャンプ大会 ノーマルヒル K90(宮の森ジャンプ競技場)
ナイタージャンプとしては日本で一番歴史のある大会です。 優勝は西森享平(白馬スキークラブ)、2位は西方仁也(雪印)、3位は東輝(日本空調サービス)でした。
●3月12日 第34回雪印杯ジャンプ大会 ノーマルヒル K76(旭川・嵐山スキー場嵐山シャンツェ)
国内の主要大会の最後を飾る雪印杯。 成年組の優勝は坂野幸夫(雪印)、2位は斉藤慎一郎(日大)、3位は西方仁也(雪印)でした。 少年組は細谷佳史(神奈川・慶応高)、ジュニアでは伊東大貴(北海道・下川中)、女子では山田いずみ(北海道女大短大部)がそれぞれ優勝しました。
シーズンの最終戦はスロベニアのプラニツァでフライングヒル二連戦が行われました。 ここはノーマルヒル・ラージヒル・フライングヒルの三つのシャンツェが並んでいて、特にラージヒルとフライングヒルはシャンツェが非常に大きいことで有名です。 今回競技が行われたフライングヒルのK点は185mですが、飛距離計測は通常でも225mまで可能で、世界で一番飛距離が出るシャンツェとして知られています。 昨年よりもどのくらい飛距離が伸びるのか、注目が集まる試合でした。
大会は初日に団体戦、二日目には個人戦が行われました。
●3月18日 団体戦 フライングヒル K185[リザルト]
晴天ながら時折風が強くなる条件の中行われたワールドカップ史上初のフライングヒル団体戦。 200mを越す大ジャンプが続出して見応えのある展開となりましたが、2ndラウンドの途中で強風のため競技がキャンセルとなり、1stラウンドのみの成績で順位が確定しました。 優勝はドイツ(ミヒャエル・ウアマン/ハンスヨルグ・ヤックレ/スヴェン・ハンナヴァルト/マルティン・シュミット)、2位はフィンランド(ヴィレ・カンテ/リスト・ユシライネン/ヤニ・ソイニネン/ヤンネ・アホネン)、3位が日本(岡部孝信/船木和喜/宮平秀治/葛西紀明)でした。 このところ好調な選手が多いオーストリアは、出場した4人のうち2人が失敗してしまい、5位に終わりました。
この日の圧巻はアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)。 1stラウンドは223.5m、2ndラウンドは225.0mという驚異的な飛距離で観客を沸かせました。 225.0mはフライングヒルの世界最長不倒距離。 二日前の公式練習でトーマス・ヘール(AUT)が出した224.5mの記録を塗り替える素晴らしいジャンプでした。
また、2ndラウンドでは日本の第一飛躍 岡部孝信(雪印)が突風に煽られて転倒、病院に運ばれました。 骨折などの大けがはなかったものの、次の日の個人戦への出場は不可能となりました。
●3月19日 第27戦 フライングヒル K185[リザルト]
前日の団体戦よりも風の条件が穏やかだったため、220mを越えるような大ジャンプは見られませんでしたが、各選手の技量や意気込みなどがジャンプに表れていて、内容の濃い試合でした。 優勝は2ndラウンドに212.5mの最長不倒距離を飛んだスヴェン・ハンナヴァルト(GER)。 これで彼は今シーズンのフライングヒルの試合を全て制したことになります。 2位はヤンネ・アホネン(FIN)、3位はアンドレアス・ゴルトベルガー(AUT)でした。 日本選手では葛西紀明(チームマイカル)が2ndラウンドに198.5mの大ジャンプを見せて5位に入賞。 また船木和喜(フィットスキー)も6位に入賞し、フライングヒルが得意なところを見せました。 以下、宮平秀治(ミズノ)が11位、斎藤浩哉(雪印)は15位、原田雅彦(雪印)が17位、西下和記(北照高)が25位、仲村和博(チームマイカル)が29位で、エントリーした選手全員が30位以内に入ってワールドカップポイントを獲得しました。
1999−2000ワールドカップジャンプの個人総合成績です。1.Martin Schmitt(GER) 1833 2.Andreas Widhoelzl(AUT) 1452 3.Janne Ahonen(FIN) 1437 4.Sven Hannawald(GER) 1065 5.Andreas Goldberger(AUT) 1034 6.Ville Kantee(FIN) 836 7.Jani Soininen(FIN) 734 8.Risto Jussilainen(FIN) 675 9.Stefan Horngacher(AUT) 624 10.宮平秀治(ミズノ) 567 11.原田雅彦(雪印) 545 14.船木和喜(フィットスキー) 475 15.葛西紀明(チームマイカル) 436 20.斎藤浩哉(雪印) 264 32.西下和記(北照高) 172 33.岡部孝信(雪印) 130 61.吉岡和也(デサント) 20 64.渡瀬雄太(札幌日大高) 16 78.仲村和博(チームマイカル) 31999−2000ワールドカップジャンプの国別対抗成績(ネイションズカップ)です。1.Finland 5219 2.Austria 4409 3.Germany 4395 4.Japan 2938 5.Norway 1624 6.Poland 530 7.Slovenia 482 8.France 335 9.Switzerland 305 10.Czech Republic 287 11.Italy 273 12.Russia 67 13.Korea 50 14.U.S.A. 39
1999−2000シーズンの最後の大会となるファイナル伊藤杯大倉山ナイタージャンプ大会(K120)が、3月25日の夕方から大倉山ジャンプ競技場で行われました。 大倉山では初めてのナイタージャンプ大会です。 優勝は船木和喜(フィットスキー)。 135.0m(最長不倒距離)と130.0mを飛んでの完璧な勝利でした。 2位にはシーズン中頃から国内で調整に励んでいた吉岡和也(デサント)、3位は葛西紀明(チームマイカル)、4位は斎藤浩哉(雪印)、5位は宮平秀治(ミズノ)、6位は西下和記(北照高)でした。 1999−2000シーズンはこの大会をもって幕を閉じ、約4ヶ月間のシーズンオフに入ります。
大会の終了後には、高橋竜二 (水戸歯科スキークラブ)、笠間法孝(東京美装)、複合の上野隆(東京美装)ら引退する選手達へ花束を贈呈するセレモニーが行われました。